※『シン・エヴァンゲリオン』追記あり
『エヴァンゲリオン』は、語られていない設定や、SFアニメを見慣れていないとわかりにくい設定が多くあります。
そのような部分を解説していこうと思います。
今回、解説していくのは『地下(ターミナルドグマ)にいる巨人は一体誰なのか?TV版と新劇場版の違い』です。
ただ、『エヴァンゲリオン』の考察には
- 公式で既に答えが出ているもの
- 他の設定や劇中のキャラクターのセリフから察することができるもの
- 筆者の妄想に近いもの
があります。
特に『新劇場版』はまだ未完ですので、あくまで自分の中の「一つの見方」として読んでいただければ幸いです。(※記事の最後にシンエヴァンゲリオンについての追記があります)
目次
TV版、旧劇場版は間違いなく『リリス』。
TV版、旧劇場版の地下(ターミナルドグマ)にいる巨人はリリスです。
これは公式の設定で「アダムと呼ばれていたが、実はリリスだった。」ということになっています。
しかし、なぜ多くの人は「リリスをアダムと勘違いしていたのか?」
TVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン第24話 最後のシ者」にて、ターミナルドグマの「リリス」に、使徒であるカヲルが到達します。
しかし、『アダム』から生まれた存在である渚カヲルですらリリスの目の前に行くまで、リリスをアダムだと思い込んでいました。
なぜ気づけなかったのか?
それは「リリスの外見はアダムに偽装されていた」からです。
新劇場版に登場するのは恐らく『リリス』
地下にいる巨人が、リリスなのかアダムなのかあやふやになってしまう理由として、『新劇場版』のリリスの見た目(仮面の違い)変更にあります。
新劇場版では地下にいる巨人を、キャラクター全員が、最初からリリスだと認識していました。
しかし、リリスの顔(仮面)は、TV版&旧劇場版でのゼーレのマーク(黙示録の仔羊)ではありませんでした。
リリスについている仮面は、他の使徒(サキエルやゼルエル)についている仮面と似たようなデザインになっています。
そして月にいるMark.06の中身の巨人が、ゼーレのマークの仮面をつけています。
ということは『新劇場版にて、地下にいる巨人はアダムなのか?』『月にいるのがリリスなのか?』そう思ってしまいそうです。
しかし、個人的にはそれはミスリードだと思っています。
新劇場版ではリリスをアダムと騙す必要がない。
「新劇場版の地下にいる巨人が、リリスからアダムになった。」という説がミスリードだと思う理由としては、
「キール議長(ゼーレの中心人物)の発言に、Mark.06とリリスを別物として発言している。」
(ゼーレは、ゼーレマークの仮面がついた巨人をリリスと別物として考えている)
「新劇場版では第一使徒である渚カヲルが違和感なくMark.06を使用している。」
(新劇場版で第一使徒(アダムとしての立ち位置)になったカヲルくんは、中身がリリスだったらまっさきに気がつくはず。)
といったものが上げられます。
そもそもTV版の世界では、世界やNERV一般職員(ミサトやオペレーター、パイロット達)を騙すための大義名分として『リリスをアダム』だと偽る必要がありました。
しかし、新劇場版の世界ではセカンドインパクトやゼーレの計画する人類補完計画の詳細が、TVアニメ版、旧劇場版と違うのではないかと思います。
TVアニメ版、旧劇場版でゼーレがついた嘘
ゼーレがやりたい『人類補完計画』は、全人類がひとつになる(心も体も)という計画です。
しかし、それがバレたら止められてしまいます(一般人からしたら全人類安楽死計画と変わらない)。
とはいえ、使徒達が妨害してくるから、ゼーレだけでは対処できません。
ネルフ(ミサトやパイロット達、職員)の人達に協力してもらうために「アダムは悪者の親玉で、子供達と出会うと人類が滅亡する」ということにしました(※全てが嘘ではない)。
セカンドインパクトの真相
さらにゼーレは昔、アダムを自分たちの手に収めるための研究で人類を滅亡させかけました。(実験は成功してアダムを胎児の状態まで戻し、これ以上使徒が生まれないようにした。)
その件で、ミサトを含める多くの人たちに迷惑をかけました。
そんなことが知られたら職員の士気に関わります。
だから「アダムはまだ生きている。使徒と出会ったら全人類滅ぶよ。」という嘘をついたのです。
リリスは『人類補完計画』に使う重要な部品です。だからこそ、ゼーレはリリスをネルフに守ってもらわなければならなかったのです。
新劇場版では嘘をつく必要は無い。
新劇場版ではそもそも『使徒』の定義が大きく変更されていると考えられます。
アダムではなくアダムスと呼ぶ、総数の変更、第一使徒が渚カヲル、天使の名前がついていない等、変更された部分が多数あります。
上記の考察は↓
さらにセカンドインパクトの詳細も明らかにされていません。
しかし、少なくともリリスをアダムと偽る必要は無くなったようです。
新劇場版の世界ではアダムはアダムスとなって複数体になりました。
『リリス』の存在理由も変わってしまったのだと思います。
そのため、TVアニメ・旧劇場版の世界では「アダムの仮面」をリリスにくっつけて、外見を偽装する必要がありましたが、新劇場版ではその必要がなくなったというのがポイントになります。
さらに『エヴァンゲリオン新劇場版:序』の原画集にはゼーレマークの仮面をつけた初期のリリス案がありますが、使徒の仮面をつけたリリスに修正されています。
(使徒の仮面をつけた巨人は「リリス本体」とかされています。)
わざわざ「リリス本体」と書かれているのは、『リリス』は魂と体を分離されており、魂は綾波レイの中に入れられています。
(魂と体が両方揃わなければ、リリス本来の力は引き出せない)
それでは「リリス」は新劇場版でどんな立ち位置になったのか?
今後の記事で解説&考察していこうと思います。
残酷な新劇場版リリスのテーゼ。滅亡するか人間を捨てるか選べ。
※ここから、シンエヴァンゲリオンのネタバレが含みます。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』にて明かされた事実によって、新劇場版のリリスがどんな立場なのかが見えてきました。
まず1つ目は、リリスは人類補完計画を望んでいないということです。
人類補完計画とはゼーレが望んでいるものであり、リリスの計画ではありません。
リリスにとって人類の魂が補完されることなんかどうでも良かったのです。
それではリリスの計画、というよりも死海文書に記されている本来の人類の未来とはなんでしょうか?
それは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の、ゲンドウのセリフにてわかることができます。
そもそも死海文書に記された、人類に定められた運命は2つしかありません。
使徒に滅ぼされる、もしくは使徒を滅ぼし、使徒を凌駕する生命体(神の子)へと姿を変えて地球を支配するかの二択です。
使徒に滅ぼされるのはもちろん嫌ですが、だからといって人間をやめるのも受け入れられないですよね。
しかし、ゼーレはそれを「しょうがないこと」「受け入れるしかない運命」として受け止め、せめてもの反抗として「人類補完計画」による人間の魂の補完を計画しました。
せめて人間の情報くらいはこの世に残そうとしたのです。ゲンドウはその補完の中心となることで、ユイに会おうとしました。
一方、ネルフの対抗組織であるヴィレは、2択を受け入れませんでした。
「人類は神が決めた運命には屈しないで、どんな絶望的な状況でも生きていける。」
そう考えたのです。
つまり、使徒を倒したあとは人類の姿のまま生きていくことを望んでいるのです。
「神の子にはならないで生きていくし、それを邪魔するなら神をも殺す。」
この考え方がゲンドウと違ったからこそ、ゲンドウとヴィレは戦うことになったのです。
ただ、リリスからしてみれば、どちらも自分の子どもが逆らってきていることになります。
一方は素直に言うことを聞かないし、一方は自分を殺そうとすらしてくる。
しかし、リリスは最後の最後で笑みを浮かべていました。それはまるで自分の子どもの成長を喜ぶ母親のようでもありました。
「父親に息子ができることは、肩を叩くか殺してあげることだけ」
これはミサトが、ゲンドウの元へ向かうシンジに向けて放ったセリフです。
全人類の親であるリリスは、子どもの成長が嬉しかったのかもしれません。
それが、反抗的な態度だったとしても、親のの力なし自分達は生きていけるのだと、全力で示してくれたのです。
私は、リリスが人類を眺める時、笑顔なのは人類を舐めているからだと思っていました。
リリスからしてみれば、人類は所詮、水槽の中の魚程度にしか思っていないと考えていました。もしかしたら、本当にそう考えていたかもしれません。
しかし、水槽の中の魚は自らの力で水槽の中を生きていけるような環境にし、餌を与えなくとも自分達だけで生きていけるように成長しました。
リリスが人類を眺める時、笑顔なのは本当に愛おしかったのかもしれません。
親の助けなしに、親の決めた進路から脱して生きていくと決意した子ども達をみて、心の底から嬉しかったのではないかと思います。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』には「親と子の和解」がテーマの1つです。
この「親と子」というのはゲンドウとシンジ、ミサトと葛城博士、親が誰かわからないアスカ、そしてリリスと人類も当てはまると思います。
リリス自体、TVアニメ版、旧劇場版、新劇場版と、串刺しにされたり、上半身と下半身を分離されたり、目を突き破られたり、首を切られたり…。
散々だったそんなリリスにも、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』にて華々しい最後が用意されててすこし嬉しくもありました。
人類補完計画やアダムと並ぶミステリアスな舞台装置として、「エヴァンゲリオン」を支えてきたキャラクターに、庵野監督もちゃんとした最後を描いてあげたかったのではないかと思います。
ここまで、読んでいただきありがとうございました。ほんの少しでも読者の皆さまへ『エヴァンゲリオン』という作品を面白くするお手伝いができたら、私としても励みになります。
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