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『シン・風の谷のナウシカ』として楽しむ『君たちはどう生きるか』についての記事をご覧いただきありがとうございます。
この記事では『君たちはどう生きるか』の考察、レビューとして風の谷のナウシカと重ねることでみえる楽しみ方を書いていこうと思います。
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目次
『君たちはどう生きるか』ネタバレレビュー。宮崎駿の人生のような映画。
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『君たちはどう生きるか』の序盤は、宮崎駿監督の子供時代を描いており、父親が戦争特需で大金を稼ぎ、ボンボンな子供時代、そして零戦がずらりと並んだシーンは、宮崎駿の幼少期の心象風景でした。
そして、地下世界に入ってからはアニメーターとしての宮崎駿監督が描かれます。
まるで未来少年コナンのオープニングを見ているかのような、キリコさんの船が波を越えるシーンから始まります。
そして映画が終わるまで、これまでのジブリ作品の面影を感じるシーンが続きます。
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他にも風の谷のナウシカの戦車が隊列組んでるシーン、風立ちぬのパラソル、とにかく宮崎駿監督の専売特許みたいな構図や描写、色使いのシーンが続いおり、宮崎駿監督の人生を表現している映画でした。
しかし、『君たちはどう生きるか』は、宮崎駿監督の頭の中を描いた映画としてはおもしろいですが、“物語”としてはどうなんでしょう…。
一応起承転結があり、ハッピーエンドにはなっていますが人によっては好みが分かれると思います。
しかし、これを『シン・ナウシカ』としてみると大変面白いです。
何が言いたいかというと原作の大人向け(というか大人にしかわからない)のテーマ、グロシーン、演出だった漫画『風の谷のナウシカ』を子どもでも観れるようにした『君たちはどう生きるか』としてみると面白いのではないかと思います。
重ねてみるというか共通点を見合わせてみましょう。
※原作ナウシカのラストはこちら
共通点① 悪意ある主人公。裕福な家庭で育った醜い心。
ナウシカといえば、アニメ映画しか観たことないという人にとっては、慈悲深く天真爛漫で無垢な少女のようなイメージがあるでしょう。
父親を殺された時に鬼神のような戦いぶりを見せますが、それも怒りに我を忘れているだけ、それは偉大な生き物の王蟲と同じで「能ある鷹は爪を隠す」を地でやっています。友愛の化身、女神かなんかみたいに描かれています。
しかし、原作の序盤のナウシカにはしっかり“人間の悪意”を感じることができます。
それは映画と同じく、トルメキアが風の谷を攻めてきたシーン。風の谷に宣戦布告もなしに、突然侵攻するトルメキア兵に怒ったナウシカが、トルメキア兵と一騎打ちをします。
重装備で腕っぷしに自信があるトルメキア兵はナウシカと一騎打ちを始め、一撃目をナウシカに剣で防がれても慌てず、すぐに盾に仕込んである鉄爪で攻撃します。
しかし、ナウシカは二撃目を予見しており、鉄爪をジャンプでかわします。
重装兵にはできない三次元機動に驚いているうちに隙をつかれ、トルメキア兵はナウシカに致命傷をくらってしまいます。
そこでナウシカは、なんと相手の技量を見切って鼻で“フッ”と笑います。
あの優しくて友愛の心に満ちていて、ジブリヒロインの代表みたいなナウシカが果たしあいを名乗り出てきた勇猛な兵士を「ああこんなもんか」と嘲笑するんです。
あとでナウシカはこんな自分が怖くて嫌で誰も見ていないところでいじけますが、これくらいが個人的には好きです。
森が燃えたとか村人が死んだとかで泣くのではなく、命のやり取りに高揚する自分に泣くのほうが人間の負の感情を感じですドロドロとした葛藤があって好きです。
また牧眞人も、なかなか醜い心を持っていました。
牧眞人は疎開先に子供たちに“嫌な思いをさせられて”(イジメられたわけでもない)自分で頭に傷をつけて、それをあえて「転んだ」と相手少年を半ば庇うような言い訳を父親にすることで復讐します。
父親が学校や相手の親に怒鳴り込むとわかってやっています。
そんな醜い心を牧眞人も自覚していましたが、宮崎駿作品の中でここまで醜い心をちゃんと描かれている主人公は、原作ナウシカの他に牧眞人くらいしかいません。
悪意を“自覚している”主人公。
なかなか魅力的だと思います。
共通点② 死のにおいがする主人公。
牧眞人は地下世界に降りたとき、その世界の住人に「死のにおいがする」といわれます。
地下世界は宮崎駿の頭のなかであり、大叔父の創った無垢な幻の世界でもあります。そんな世界に現実の醜い負の心をもった人間が降りてきたのですから、異様なにおい…異質な雰囲気を感じてもおかしくはありません。
またナウシカも“死のにおい”ではありませんが「闇のにおいがする」といわれます。
神によって用意された浄化された世界を否定し、例え滅亡がまっていても未来は自分たちの手で切り開いていくと宣言したナウシカは人造とはいえ「お前にはみだらな闇のにおいがする」といわれて軽蔑されます。
この“〇〇”のにおいの正体がなんでしょうか。
私は“罪”のにおいではないかと思います。
罪、原罪といってもいいかもしれませんが、旧約聖書では人類が最初に犯した罪はアダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪といわれています。
禁断の果実とは“知恵の実”であり、知恵を得てしまった人間は無知で無垢な存在でいることができなくなりました。“裸”でいることは恥ずかしいから葉っぱで陰部を隠すし、今までなんの気なく食っていた肉は他の“命を奪った”という工程があったことを知ってしまいます。
『君たちはどう生きるか』の地下世界も漫画『風の谷のナウシカ』の墓所が語る浄化世界もまるで“死はタブー”で無垢で無知なことが良いことかの様に描かれています。
それはそれで理想郷ができるかのように思えなくもないですが、無菌状態で育てられた生き物は強くは成れず、自分の痛みを知らずに育った生き物は他人の痛みも考えることはできません。
外の世界で何千万という規模で殺し合いをしてる真っ最中の生き物に生まれ変わろうとするワラワラが尊くて、生きるために仲間と連携して狩りをするペリカンが卑しいなんておかしいでしょキリコさん。
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共通点③汚れた世界を愛し汚れた世界を肯定するナウシカと牧眞人。
漫画『風の谷のナウシカ』ラストの絵面はアニメと同じです。 しかし、アニメ版では「王蟲の返り血によって服が青く染まっている」のが「墓所の返り血によって服が青く染まっている」になっています。
アニメ版では、王蟲への義愛の印として着いた血ですが、漫画版では自分が殺した相手の返り血で青く染まっています。ナウシカの衣は旧世界が創った神の返り血によって青く染まっているというおぞましい姿です。
さらに“金色の大地”というのも、アニメ版の王蟲の労りと友愛の証である金色触手が集まることで、まるで実った麦畑のようにみえたというものではなく、巨神兵が焼き払った更地に、太陽光が反射して金色にみえるというものになっています。
外の世界は確かに厳しくて辛いし、醜いものもたくさんある、けれど清浄と汚濁こそが生命である。苦しみや悲劇やおろかさは人間の一部なのだから清浄な世界でもなくなりはしないし、だからこそ苦界にあっても喜びや輝きもまたある。
ナウシカはそういって墓所の主によって用意されていた無垢なる清浄な世界を否定し、腐海まみれで汚濁にあふれる世界を選びました。
そして牧眞人も無垢な物だけで創られた幻想の地下世界ではなく、今もなお同族同士で殺し合いの真っ最中の現実世界を選びます。
どちらも過去との決別を暗示するようなラストです。
宮崎駿監督は、アニメ『風の谷のナウシカ』がご都合主義の宗教映画になってしまったのを悔やんでいたことを語っていました。 出来はいいけどラストが良くないと。
神様頼りに生きるのではなく、人間は人間同士で助けあって生きていくしかない、規定された救済ではなく、自分達の手で未来を切り開いていく。そんなメッセージがあると思います。
外の世界に帰った牧眞人達に浴びせられる大量の鳥の糞は、自分たちの無垢な世界を見捨て、汚濁の世界を選んだ牧眞人へ罪を自覚させるためのお礼参りであり、同時に祝福でもあったのではないかと思います。 一部の思想宗教を全否定ですが、宮崎駿監督が到達した唯物論が伝わってきますね。
最期に。旧世界を崩壊させた意味は?
また、あえて旧世界の崩壊をちゃんと描いたのにはわけがありそうです。
映画を見終えたばかりは
旧世界との決別=引退
と思っていましたが、すこし時間がたって考えてみると
旧世界の決別=ちゃんと今まで自分を支えてきてくれたものに義理立てしてお礼したから、これからは自分の造りたい新しいものを造るよ!
という意味にも思えてきました。
これまで宮崎駿監督は「死を描く」「自分を描く」ということに注力してきたようですが、これを機に宮崎駿監督が描く本気のロボットアニメや戦争描写をみてみたいですね。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。