引用:アダム・ドライバー インタビュー より
この記事は『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のネタバレが含まれます。
2020年1月19日、第26回全米映画俳優組合賞の授賞式が行われました。
映画『JOKER』で、主演を演じたホアキン・フェニックス主演男優賞の授賞の際に、残したスピーチがが話題になっています。
多くの人が彼を称える中で、そこには『ブラック・クランズマン』でアカデミー賞で、助演男優賞に輝いたアダム・ドライバーの姿もありました。
アダム・ドライバーと言えば、2019年12月20日に公開された『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』でも、頭一つ抜けた演技力を発揮していました。
『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』で、もっとも成長して、魅力的になったキャラクターは、間違いなくアダム・ドライバー演じる『カイロ・レン(ベン・ソロ)』だと言えるでしょう。
今回はその『ベン・ソロ』の成長と、エピソード7から、つけたり外したりしていた『マスク』についての意味も含め、解説&考察していきたいと思います。
スターウォーズはスカイウォーカー家の物語。これまでのスカイウォーカーサーガ。
カイロ・レンは、『スターウォーズ』という物語のキーである、スカイウォーカー家の血を引いた存在です。
「スカイウォーカーサーガ」という言葉があるだけに、『スターウォーズ』はスカイウォーカー家の物語だと言っても過言ではありません。
そのスカイウォーカー家の末裔のカイロ・レンを語るには、まずはこれまでのスターウォーズが、どんなスカイウォーカーの物語を描いてきたか、おさらいする必要があります。
エピソード4~6。
田舎惑星で農夫の養子として暮らす主人公ルーク・スカイウォーカー。ひょんなことから大きな戦いに巻き込れ、自分には特別な力がある知る。
ルークに立ちはだかるのは、冷酷非道のダースベイダー。
しかし、ダースベイダーには「アナキン・スカイウォーカー」という名前があり、闇に堕ちる前は善良なジェダイだったこと、そして、自分父親だったことをルークは知った。
最後まで父を信じるルークの心が、ついには父アナキン・スカイウォーカーに善の心を取り戻させた。
壮大な宇宙戦争の中で、中心となるのは父と子の物語でした。
ルークをなんとか暗黒面に引き入れようとするダースベイダーに、視聴者もどこか「息子を殺したくない」という、善の心を感じました。
エピソード4~6ではスカイウォーカーは、2人登場しました。1人は善の心を持った若い青年。2人目は善と悪に揺れる父親です。
エピソード1~3
前作の敵役ダースベイダーが、「何故?悪に堕ちたかに迫る物語。」
若き日のアナキンは有望なジェダイ候補だった。しかし、若さゆえに周りからは心配されていた。
周りからの心配を、「信じられていない」と思ってしまうアナキン。
誰よりも力が欲しい望むアナキンは、周りとすれ違っていき、ついには暗黒面に堕ちてしまう。
若さ・信用・善心。全てを失った彼は、ダースベイダーとなった。
スカイウォーカーサーガの始まりとなる三部作。
伝説の始まりは宇宙に暗黒の時代が訪れて終わりを迎えました。エピソード4~6を知らないと、とてつもないバッドエンドです。
ここでのスカイウォーカーはエピソード3のラストを除けば、登場するのはアナキン1人のみです。
才能に溢れるアナキンは、本来誰でも経験する「恋、栄光、挫折、周りの大人との考えの違い。」を、それすらも自分にしかない特別なことだと思い上がり、悪い大人に付け込まれてしまいます。
エピソード7~9
エピソード6のその後を描いた物語。
辺境の田舎惑星でガラクタ拾いで生計を立てるレイ。
ひょんなことから大きな戦いに巻き込まれ、自分には特別な力がある事を知る。
敵は、ダースベイダー(アナキン)の孫で、才能もあり良いジェダイとなるはずだった。
しかし、周りとの考えがすれ違い、若さゆえに悪い大人に付け込まれて、暗黒面に墜ちたカイロ・レン(ベン・ソロ)。
ベンの親であるハン・ソロとレイアは最後まで、ベンの善の心を信じ、ついにはカイロ・レンは改心して、レイと共に戦う。
生き残ったレイは、意味深に自分をレイ・スカイウォーカーと名乗るのだった。
滅びたはずの帝国は復活し、反乱軍はまたしても立ち上がりました。
物語の中心となるのは、前作のラスボス、パルパティーンの孫娘レイと、前作の英雄達の息子ベン、この2人です。
旧6部作が一貫して、スカイウォーカー家を中心とした物語でしたが、スカイウォーカー家は敵役で留まっていました。
家族としての物語は、スカイウォーカー家であるベン・ソロにあり、レイにあったのは身に覚えのない悪との決別でした。
ベンはアナキンの人生そのものだった?
ここまで、スカイウォーカー家に焦点を当てて『スターウォーズ』を解説しました。勘のいい人はもう、お気づきかもしれません。
そう、エピソード7~9では、レイ視点で『エピソード4~6』。
そして、ベン視点で『エピソード1~3』を描いているのです。
より正確に言うと、ベンは「エピソード1~3」のアナキンと、『スカイウォーカーの夜明け』でエピソード6のアナキンを表現しています。
ベンは、若き日のアナキンと立場は違えど、常に「力」を求め、周りからの不信感に苛立ちを覚えていました。
まだアナキンには、優しくも厳格に諭してくれる立派な大人がいましたが、カイロ・レンの周りには誰もいません。
いるのは仲の悪い部下と、パワハラ上司だけ。
しかし、自分を信じてくれる人の存在に気づき、新三部作のラストでようやく改心します。
マスクで隠すのには勿体ない、アダム・ドライバーの名演。
アダム・ドライバーは『エピソード7』の公開時と、『エピソード9』の公開時では演技力が大きく違います。
大きく違うと言っても、悪い意味ではなく、『エピソード7』から、既にアダム・ドライバーの演技力を発揮しています。
上記のとおり、『エピソード7~9』では、アナキンが『エピソード1~6』で見せた成長を、わずか3作品でやらなければなりません。
アダム・ドライバーは、その難題を見事こなしてみせました。
彼が演じた役・カイロレンと言えば、祖父ダースベイダーに憧れたマスクが印象的でもあります。
エピソード7、8は、マスクをつけたりはずしたりしていました。
さらに、エピソード9では、日本の伝統芸である金継ぎでマスクを治していましたが、それすらも中盤から付けていませんでした。
(え?負けた屈辱を忘れないための金継ぎじゃないの?はずしちゃうの?私は、そう思っていました。)
そのおかげで、カイロ・レンは「どっちつかずの締まりのないキャラクター」に見えてしまっていたのです。
しかし、それで良かったのです。
ただ、新3部作にはダースベイダーのマスクや名前が度々登場します。
そのおかげで、観客はカイロ・レンに、エピソード4~6の『ダースベイダー』を求めてしまっていたのですが…。(少なくとも私はそうでした…。)
カイロ・レン自身も、ダースベイダーになること望んでいましたが、3作品通して観ると、彼はエピソード1~3のアナキンに近かったことに気づけます。
アダム・ドライバーはそこを見抜いて演技していたのです。
カイロ・レンはまさに「ダースベイダーに憧れるアナキン・スカイウォーカー」だった。
『スカイウォーカーの夜明け』惑星パサーナにて、レイにTIEファイターを落とされ、中から出てきたカイロ・レンは、エピソード3の闇堕ちしたアナキンにそっくりでした。
「これはマスクをはずして演技させたくなる」そう思わされました。
つけたりはずしたりするマスクは、まるで「闇と光が見え隠れする」エピソード1~3のアナキンを表現していたのです。
『スカイウォーカーの夜明け』では、スカイウォーカー家の血は絶えました。
スカイウォーカーの名はレイが受け継ぐことで、後世へと伝わるでしょう。
『最後のジェダイ』は終わりました。
今度はスカイウォーカーという名が、『銀河に秩序と平和をもたらしたもの』という意味で使われるのかもしれません。
アダム・ドライバーは、見事にベン・ソロというキャラクターを、見事『銀河に秩序と平和をもたらしたもの』に押し上げたと言えるでしょう。
今回は『カイロ・レン(ベン・ソロ)』に焦点を当てて話しましたが、他のキャラクターに関しても記事を上げていこうと思うので、よろしくお願いします。
もちろん、作品の捉え方は人それぞれですし、あくまで個人の考察だと思って読んでいただけると幸いです。
それでは次の記事で!