金曜ロードショーの常連『ジュラシックパーク』。SF映画の金字塔であり、多くのクリエイターに影響を与えた作品です。
スティーブン・スピルバーグ監督が『ジュラシックパーク』、そして“ティラノサウルス”という恐竜にかけた思いとは??
そんなことについて語っていこうと思います。
『ジュラシックパーク』をまだ観ていない方は観たくなるような、2度目3度目を観る方は、より楽しく観られるようになると嬉しいです。
目次
“ジュラシック・パーク”を考えたのはスピルバーグじゃない?
「恐竜の血を吸ったまま琥珀に閉じ込められた蚊の体内から、恐竜の血を取り出し、そのDNAで恐竜を現代に甦らせる」
この設定を考えたのは、マイクル・クライトンというSF小説作家です。この設定にスピルバーグは感激してジュラシック・パークを撮ったんです。
「恐竜映画を撮りたい、けれど現代になぜ古代の恐竜が存在するのかという良い理由が思いつかない。」
そう悩んでいたスピルバーグにとって、上記の設定は衝撃的だったことでしょう。スピルバーグはクライトンのジュラシック・パークについて、「その本には信じるに足る科学がある」と語ります。彼もまた影響を与えられた側の人間だったということです。
映画のシナリオはクライトンと脚本家のデヴィッド・コープに任せ、スピルバーグは恐竜の演出を全力で手懸けていきます。
恐竜がそこにいるかのような没入感とリアリティ
悠久の過去の存在であるはずの恐竜が、科学的に存在がリアルになり、“そこにいてもいい”という存在証明をされた今、観客にいかに巨大に魅せ、躍動感を出し、獰猛さを感じさせるかが勝負になってきます。
観客の度肝を抜くには、まるで恐竜がそこにいるかのような没入感とリアリティを与えなければなりません。
没入感を深めるための演出は、『キング・コング』などの先代の作品が答えを出してくれています。
キング・コングはジャングルで他の生物と殺し合いをしている分にはただの縄張り争いであり、“ありえる風景”です。
しかし、それがニューヨークに切り替わった瞬間の映画は面白さが倍増し、画面はアートになります。見慣れた日常風景の中で巨大なゴリラが暴れる光景は観客の目を釘付けにします。
『ジュラシックパーク』でも、そういった演出がふんだんにあります。
ティラノサウルスが小突いただけで車にはヒビがはいり、チーターがガゼルを追いかけるように、ティラノサウルスが自動車を追いかける姿は色んな作品にパロディされるほどの名シーンです。
しかし、近年になってこのシーンはリアルではないと批判の声もあがっています。
リアルにみえるだけなのか?嘘恐竜と言われてもいいじゃない。オタク目線と監督目線の擁護。
「約50km速度で走るジープにティラノサウルスが付かず離れずで走るのは不可能である。」というのが、よく問題にされています。
ティラノサウルスの走行速度については諸説あるそうですが、現実世界では骨格などから推測するに時速20~30km程度とされています。
他にも実は羽毛が履いていたとか、あんな大声で鳴けないとか、牙は剥き出しじゃないとか、まあいろいろ言われています。
ただ、それでも当時のリアリティは、他の恐竜作品と比べるとずば抜けていました。
当時の恐竜はみんな色が緑やピンクで、ゴジラのように直立してしっぽを引きずって歩いていると考えられていました。
それを「実際は頭と尾でバランスをとるようにしているんだ。」「ハンティングを行う時はかなり早いスピードをだせるんだ。」と恐竜の新情報を最凶の演出の形でスピルバーグは観客にみせたんです。
また、上記の批判はあくまで現実世界のティラノサウルスと比べた時の話です。
ジュラシックパーク内の恐竜はDNAが本来の恐竜とは違い、DNAが欠けている部分を蛙や蛇などのDNAで補っているため本来の恐竜とは違っていて当然なんです。
そしてなにより、恐竜の演出指導をする時のスピルバーグは、色が緑色で直立した恐竜が描かれたTシャツを着ているんです。笑
結局のところ、スピルバーグ自身もリアリティが大事であると考えながらも、ケレン味があるいままでの恐竜が大好きでたまらなかったんだと思います。
ジョーズからティラノサウルスへ。何が進化したのか?
「自然に対して人間の無力な姿を描く」というのは、もともとスピルバーグは『ジョーズ』ですでにやったテーマです。
スピルバーグは『ジュラシック・パーク』を“陸のジョーズ”“ジョーズの続編”として制作しはじめていました。
しかし『ジュラシック・パーク』は“恐竜”という現代にはいない生物を扱っているにもかかわらず、ジョーズを超える自然の雄大さ、獰猛さを観客に感じさせました。
ジョーズとティラノサウルスの違い。
それは「瞬きをするかしないか。」だと思います。
自然に対して無力な人間、既得権益に溺れた人間を自然が打ち負かす。このテーマは『ジョーズ』、『ジュラシック・パーク』両者ともにあります。
しかし、ジョーズはティラノサウルスよりもより凶悪な存在として印象に残ります。
なぜなら、ジョーズは“瞬き”をしないある意味冷酷な殺人ロボットとしての属性を持っているからです。
これは個人的なSF作品の見方になってしまいますが、“瞬きをするかしないか”というのは、そのキャラクターの悪意、非人間を見抜く重要なポイントになっていると思います。
エイリアンやHAL、初代ゴジラやシン・ゴジラ。こいつらは瞬きをしません。
瞬きとは一種の人間性の象徴のようなものであり、感情移入ができるかできないかの別れる重要なポイントになっていると思います。
冷酷で邪悪な目でじっと人間をみつめて、殺せる瞬間を虎視眈々と狙っており、強烈な悪意を向けてきます。
ジョーズは、ただの大きい鮫ではなく、“人間を積極的に襲う鮫”なのです。
人間を食う時も血を流す時も、ずっと無表情で、淡々と人間を喰う姿はまるで殺人ロボットのようでもあります。
ジョーズとは、“生き物”ではなく自然の化身、自然がもつ“人間へのマイナスのエネルギー”の塊のような存在として描かれています。しかし、ティラノサウルスは違います。
人間を襲いますが、それはあくまで自分のテリトリーにはいられた時や、人間を襲う時もあれば助ける時もある。まさに自然の“生き物”として描かれています。
ティラノサウルスは瞬きをします。それは『ゴジラ・キングオブモンスターズ』のゴジラや『エイリアンVSプレデター』のプレデターのように、人間の味方になる時もあるからです。
“敵の敵は味方”これは映画が一番熱くなる展開です。
今まで敵としてしのぎを削ってきた相手が時として味方になる。これほど痺れる展開はありません。
人間を時に悩ませ、時に助ける。その姿はまさに自然そのものです。
ジョーズは人間への敵意をもった自然の化身、ティラノサウルスは現代に生まれたちゃんとした生物として描きわけられているのです。
同じ自然をテーマにしながら、ジョーズとティラノサウルスには、ちゃんと明確な違いがあるんです。これが両者ともにSF映画の金字塔として名を残している所以です。