『スターウォーズ』がディズニーの手に渡り、公開されたエピソード7以降の三部作は、良くも悪くも多くの注目を浴びました。
ディズニーは、『スターウォーズ』の本史が終わった以降も、作品を出し続ける意向で、スターウォーズキャラクターのスピンオフ映画や、ビデオシリーズが用意されているようです。
中でも、今注目を集めているのが、『マンダロリアン』。『スターウォーズ ジェダイの帰還』に登場した、人気キャラクター『ボバ・フェット』に似た主人公が特徴的です。
さらに、ドラマシリーズ(ディズニーDXにて公開中)である本作の監督を務めるのは『アイアンマン』、『ライオン・キング』で知られるジョン・ファヴロー監督。
ディズニーが『スターウォーズ エピソード9 スカイウォーカーの夜明け』という、完結編の後に用意したとっておきの作品と言えるでしょう。
ディズニー買収後に作られたスターウォーズ新三部作は、ジョージ・ルーカスが撮ろうとしていた「エピソード6までとは一味違うスターウォーズ」ではなく、オリジナルの二番煎じのような、過去を惜しむだけのファン映画になってしまいました。
しかし、『マンダロリアン』には『スターウォーズ・エピソード7』以降の三部作には無かった、オリジナル性があります。
今回は、その『マンダロリアン』について話していこうと思います。
マンダロリアンのあらすじ。賞金稼ぎの物語。
物語は、ルークや反乱軍の活躍により帝国が崩壊した後の物語。時系列的には『スターウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還』と『スターウォーズ エピソード7新たなる希望』の中間にあたります(エピソード7ともかぶるかも)。
新共和国の方は、辺境の惑星には届かない。無法者がのさばり、自分の身は自分で守らなければならない。そんな時代に生きる、1人の凄腕バウンティハンター(賞金稼ぎ)の物語。
主人公マンド(マンダロリアン)はある日、賞金首とされていた赤ちゃん(ベビーヨーダ)と出会う。1匹狼として生きてきたマンドは、徐々にベビーヨーダに惹かれていき生きていくと誓い、2人の放浪の旅が描かれていく。
辺境の惑星と言うと、タトゥイーンが浮かびますが、タトゥイーン等の辺境の惑星は帝国が銀河を支配してる時も、支配していない時も無法地帯だった気がします笑。
さらに『マンダロリアン』には、物語を面白くするスパイスのようなキャラクターとして、『ベビーヨーダ』なるものが登場します。
しかし、“ベビーヨーダ”と言っても、あの緑のジェダイマスターヨーダの子供時代という訳ではありません。公式には『The child』と呼ばれており、ヨーダは900歳ですでに死去しており『ジェダイの帰還』では既にいません。
『ジェダイの帰還』のその後の物語である『マンダロリアン』では、ザ・チャイルドは50歳ですので時系列が合致しません。子孫もしくは何らかの血縁関係があるかは、今後明らかになるかもしれません。
「赤ちゃんの姿でも50歳」というのは、なんともスペースオペラっぽく面白いですね笑。
ただ、主人公マンドはこのベビーと共に旅をすることになりますが、この話どこか聞き覚えがありますよね。用心棒が子供を連れて旅をする時代劇があったような…
『マンダロリアン』の正体は子連れ狼だった。革新的な作品『子連れ狼』とは?
『マンダロリアン』の子どもを連れた凄腕の刺客。という設定は、ものすごく日本の時代劇『子連れ狼』に似ています。
『子連れ狼』とは、小池一夫原作・小島剛夕作画による時代劇漫画。これを原作としたテレビドラマ及び、実写映画作品。
主人公拝一刀は、水鷗流の達人にして、江戸幕府の公儀介錯人(切腹した人を苦しませないよう首を切る仕事)。
この公儀介錯人の地位を巡り、彼と柳生一族は衝突していた。ある日、柳生一族は拝の家を襲撃し、彼の一族を皆殺しにし、拝一刀に謀反人の嫌疑をかけた。
殺戮の手を逃れたのは、母の手によって幼い一人息子の大五郎だけが生き残った。
拝一刀は、この一連の虐殺の犯人が、幕府の裏家業を請け負う柳生一族「裏柳生」の仕業だと見抜く。
すべてを奪われた拝一刀は、柳生一族に復習を誓い、息子には愛刀・胴太貫と毬を差し出した。
刀を取れば復習の旅、毱を取れば別の人生。結果、大五郎は刀を選び、2人は復習の道へと歩むのだった。
斬新かつ残酷な設定。実写版では景気よく人が血しぶきを上げて死んでいく光景に海外でも大きな影響を与えました(後のスプラッター映画)。
彼らの旅は、柳生一族から送られる刺客との戦いが話の基本だが、用心棒として働く話も多いのが特徴的。
『主人公が金を貰って正義を行う』という、いままでの無償のヒーローとは違うスタンスもまた、国内外の作品に大きな影響を与えました。
他にブラックジャック等の作品もありますが、貰ったお金の使い道を明確に見せたのがまた『子連れ狼』の特徴的なところでもあります。
その使い道とは、子供の大五郎でも戦えるように武器を生産すること。
普通の作品なら生活をより良くするためにお金を使わせそうですが、ここまでストイックに戦闘と復讐だけを描いた『子連れ狼』は本当に革新的な作品です。
『マンダロリアン』の主人公マンドは、ベビーヨーダを賞金首として依頼主に渡さないと決心した際、その依頼主である帝国軍残党と対立してしまうことになりました。これから台頭するファーストオーダーからも命を狙われることになるでしょう。
旧六部作では、ジャンゴ・フェットとボバ・フェットはルークやアナキン、オビワンの敵として描かれてきましたが、マンドは、反乱軍の味方側として描かれるかもしれません。
ベビーは、特別強いフォースをすでに扱える様子で、『マンダロリアン』だけで登場が終わるとは考えにくいです。
マンドとベビーの旅も拝と大五郎の旅のように、「巨悪を倒すストーリー」へと流れていくことでしょう。
マスクをつけた主人公から感情を読み取る方法。
そもそもマンドと呼ばれている主人公、マンダロリアンとはなんなのか?
惑星マンダロアを中心に活動する民族。ジェットパックに、ブラスターや火炎放射器など、各種武器を巧みに駆使する戦闘民族。
その高い戦闘能力を買われ、賞金稼ぎや傭兵を稼業とする者も多い。
かつて、平和を重んじる左派(ニューマンダロリアン)、闘いを重んじる右派(デスウォッチ)、どちらも重んじる捕手改革派(トゥルーマンダロリアン)に分かれている。
過激派による戦いは部族を衰退させていった。
ボバ・フェットやジャンゴ・フェットに代表される、T字型のバイザーが付いたヘルメットが印象的な装甲服に、ブラスターや火炎放射器、様々な武器を巧みに駆使した高度な戦闘能力を持つ。
家族の存在(氏族含め)を重んじ、血の繋がりや政治的な繋がりよりも、精神的な繋がりを大切にする。
作品ごとによって異なりますが(スターウォーズは外伝が鬼のようにありすぎる)ほとんどの作品や正史は、上記のような共通点をもちます。
さらに『マンダロリアン』では人前ではマスクを外さないという新設定が追加されました。
ジャンゴは、人前でも素顔を出していましたが、派閥が違うということなのでしょうか?今後明らかになるか、放っとかれるは分かりません笑。
しかし、マスクを付けている主人公はカッコイイという一面もありながら表情が読み取りづらいという弊害があります。
しかし、『マンダロリアン』は決して主人公の心情の表現をおろそかにしているわけではありません。
マスクにあたる光の角度や光量、CGだからこそ表現できる空模様。さらにルドウィグ・ゴランソンによる音楽がとても効果的に働いています。
「落ち込んだ主人公のマスクに光がさし、その次のカットでベビーヨーダが映る。」こういった光や構図によって主人公達の心情を表現するのは、アニメに手法が似ています。
アニメでは、光や天候を作者の思うがまま描くことができます。天候が雨なら主人公達の心情も暗く湿っているのです。
『マンダロリアン』では、光の当て方がとても緻密に調整されています。それと合わさって聞こえてくる音楽で感情を読み取ることができるのです。
今回は、『マンダロリアン』について解説&レビューをしていきましたが、今後もスターウォーズスピンオフ作品について記事を書いていくつもりなので、今後もよろしくお願いします。(もちろんマンダロリアンについても。)