TV放送を始め、劇場公開も始まったジブリ待望の新作『アーヤと魔女』。
原作は『ハウルの動く城』の著者でもあるダイアナ・ウィン・ジョーンズ氏で、ジブリ初の3DCGアニメーション作品です。
ジブリファンの方はもちろんのこと、『アーヤと魔女』は観るべきか、また内容について評価、レビューしていきます。
また、既に『アーヤと魔女』を観て、なんとなくジブリ作品として違和感を感じた方も多いのではないでしょうか。
観るかどうか迷っているという方は是非、参考にしてみてください。
微ネタバレ含みます。
目次
- アーヤと魔女は“ジブリ作品”を見に行くというよりも、“宮崎吾朗作品”として観るべき。
- 宮崎吾朗作品の伝えたかった“したたかさ”とは?
- 正直いままでのジブリヒロインと一緒。
- まとめ 子どもに操られることで、大人は素直になれる。
目次
アーヤと魔女は“ジブリ作品”を見に行くというよりも、“宮崎吾朗作品”として観るべき。
ジブリファンならぜひ観ておきたいが…。
基本的に映画は時間に余裕があり、映画館に足を運べるならそれに越したことはありません。
特に『アーヤと魔女』は音楽に力の入った作品であり、音響設備の整った映画館で観ることで作品を倍以上楽しむことができると思います。
いつものジブリ作品とは一味違う。
久しぶりの新作ジブリ作品であり、楽しみにしていた方も多いことでしょう。
しかし、『フルCG作品』『宮崎吾朗監督作』ということで金曜ロードショーなどでよく放映されているような、いわゆる“いつものジブリ作品”と思って観に行ってしまうとギャップがあるので注意が必要です。
“ジブリ作品”を見に行くというよりも、“宮崎吾朗作品”また“フルCGの全年齢対象アニメ”を観に行くという心づもりがいいのかもしれません。
宮崎吾朗監督の伝えたかった“したたかさ”とは?
上記にもありますが、いままでのジブリ作品と思ってギャップにとまどってしまった方が少なからずいるようです。
本作のヒロインであるアーヤは、精神的な成長がほとんどなく、幼い頃から大人や、周りの人間を意のままに動かす“したたかさ”が垣間見えます。
もちろんそれは、魔法で強制的に体を動かすようなものではなく、おだてたり取り入るような振る舞いで、周りの人間を自分の都合のいいように動かします。
視覚的な表現がないだけで、そこに不思議な力が働いているかと聞かれると否定はできませんが…。
「私のどこがダメですか?」という映画のキャッチコピーは、まさにアーヤの自信に溢れた性格そのものを表していると言えます。
純粋無垢なジブリヒロインのイメージがあった方は、アーヤというヒロインが受け付けないようです。
違って見えるが、実はいままでのジブリヒロインと一緒。
対立でも従属でもなく、自分がストレスに押しつぶされない環境をつくるアーヤのバイタリティを、今の子どもたちにみせたかったのだと宮崎吾朗監督は語ります。
一見、アーヤはクレバーで打算で人と接しているように見えますが、自分の使う洗面台には育て親の写真や、親友の写真を貼っており、その姿は年相応の可愛い少女にみえます。
第一、大人や周りの人間、男を自分の意のままに動かす能力を、歴代ジブリヒロインは持っていました。
男に取り入るしたたかさは、あのポニョでさえ持っていたし、キキやソフィーも持っていました。
それが計算なのか不思議な力なのかはわかりません。
ただ、やはり“計算高くてしたたかなヒロイン”がいままでのジブリヒロインには、いなかったのかと聞かれるとそうではないと思います。
露骨に表現されていなかっただけで、子供には純粋無垢に見えても、大人にはしたたかさが垣間見えるという描写はこれまでのジブリヒロインにもあったはずなのです。
まとめ:子どもに操られることで、大人は素直になれる。
正直、ただ表現が露骨なだけで、アーヤはいままでのジブリヒロインとそんなに変わらないような気がします。
大人や周りの人間を動かし、自分にとって過ごしやすい環境を整えるしたたかさを持っているが、それを人には“決して見せない”。
ジブリヒロインもとい、宮崎駿ヒロインとアーヤの違いは、“決して見せない相手”が物語のキャラクターか観客かの違いでしかありません。
かと言って、宮崎吾朗が宮崎駿のヒロインのあり方の解釈を間違えていたわけではないと思います。
それでは、宮崎吾朗監督の「アーヤはいままでのジブリヒロインとは一味違う。」という言葉の“一味違う”部分とはなんなのでしょうか。
したたかであることに間違いはないとは思いますが、それだけなのでしょうか。
よく出来た映画というのは二重構造になっており、ジブリも例外ではありません。
宮崎駿監督作品にも、映画を観に来た子供へ向けたメッセージと、それに付き添ってきた大人へ向けたメッセージが内包されています。
映画を観に来た子ども達には、どんな逆境でも自分の生きやすい環境を整える力の大切さを伝えたかったのだと思います。
そして、大人へは子どもに“操られてみるのもいいよね”ってことを伝えたかったのではないでしょうか。
ある程度大人になってしまうと、つまらないプライドが邪魔して、素直になれなくなってしまうということがあります。
しかし、子どもに操られる振りをすれば素直になれます。
ベラヤーガもマンドレイクもアーヤによって操られて自分を失ったのではなく、操られてる振りをすることで自分に素直になれるという幸福を知ることが出来たのです。
映画を観に来た子どもだけではなく、大人にもちゃんとメッセージを用意しておくという二重構造は面白く、先入観なく観ることができれば十分楽しめる作品だったのではないでしょうか。
他のジブリ映画と比べてしまうと少し物足りなさを感じた部分もありますが、変にだらだらと続けるよりは、すっきり終わってよかったのかなと思います。
個人的には、音楽が素晴らしかったのはもちろん、グミ出できたようなミミズや、魔法がかかった家などCGアニメならではの質感の表現は面白かったです。
“CGはジブリらしくない”という理由で観に行くか迷っている人は、是非一度劇場に足を運んでみることをお勧めします。
それでは次の記事で!