『シン・ウルトラマン』の制作発表に続いてキャスト募集。さらに敵怪獣らしき『邪神魔獣グリムド』という名前の商標登録。
『邪神魔獣グリムド』に関しての考察記事はこちらをご覧下さい。
『シン・ウルトラマン』への期待が高まる中、今こそ皆さんに観て欲しい作品があります。それは『帰ってきたウルトラマン』です。
目次
『帰ってきたウルトラマン』通称、『新マン』
この記事のタイトルに「『シン・ウルトラマン』を観る前に『新ウルトラマン』を観よ!」とありますが、『新ウルトラマン』略して『新マン』とは『帰ってきたウルトラマン』のことを指します。
『ウルトラマンタロウ』が放映される時既に『ウルトラマンジャック』として名前がつけられそうになっていましたが、当時バスジャック事件や飛行機ジャックテロ事件が起きていました。
「ジャック」という文字に悪い印象が多かったため、現代までジャックと公式に命名されるまで時間がかかってしまいました。
『帰ってきたウルトラマン』を『新マン』と呼ぶか『帰りマン』と呼ぶか『ウルトラマンジャック』と呼ぶか、『ウルトラマン二世』と呼ぶ、か論争がありますが私は『新マン派』です。
『帰ってきたウルトラマン』とは第二期ウルトラシリーズの第一作目。昭和ウルトラマンの三人目の主人公です。
☆『帰ってきたウルトラマン』と初代ウルトラマンは別人。
よく『帰ってきたウルトラマン』を観ていない人が、誤解されがちですが、『帰ってきたウルトラマン』に登場する“ウルトラマン”は初代『ウルトラマン』に登場する“ウルトラマン”と別人です。
しかし、別人と言っても、脚本では同一人物として描く予定で、初代ウルトラマンが地球に帰ってきたという設定でした。
ところが、同じウルトラマンでは新しいおもちゃが売れないという大人の事情により、急遽初代ウルトラマンとは別人という設定に変わりました。
そのため、劇中では『帰ってきたウルトラマン』の事をウルトラマンと読んでいるシーンが多く、表記がややこしい事になっているのです。(新マンと子供に呼ばれているシーンもある。)
帰ってきたウルトラマンは弱かった戦士。
『帰ってきたウルトラマン』についての時代背景など、詳しくはこちらをご覧下さい。
紹介記事でも書きましたが、『帰ってきたウルトラマン』で新マンは弱く描かれました。
放映された当時は、東京オリンピック後で、流行っていた『スポ根ドラマ』などに乗っかったというのもあり、『帰ってきたウルトラマン』の「主人公が逆境から立ち上がる」という姿勢に多くの人々が魅了されました。
初代ウルトラマンの流れは「人間達のピンチ→ウルトラマン登場→怪獣を倒してハッピーエンド」だったのに対し、
帰ってきたウルトラマンの流れは「人間達のピンチ→ウルトラマンもピンチ→作戦会議&特訓→怪獣を倒す」なのです。
初代『ウルトラマン』に登場する「ウルトラマン」が最初から訓練された戦士で、OPにもある通り『怪獣退治の専門家』ですが、『帰ってきたウルトラマン』に登場する『ウルトラマンジャック』は未熟な戦士から成長する姿が描かれています。
帰ってきたウルトラマンのあらすじ
『帰ってきたウルトラマン』のだいたいのあらすじはこうです。(知っている人は読み飛ばしてください!)
環境破壊、異常気象、自然環境の変化により、眠っていた太古の怪獣達が目覚め始めました。
主人公である、カーレーサー志望の郷秀樹(ごう ひでき)青年は、怪獣『タッコング』の襲撃から逃げ遅れた少年と仔犬を自らの命を投げ出し助けました。
郷の勇気ある行動に新マン(ウルトラマンジャック)は、自身の生命と超能力を郷に与えました。もう一度生き返った郷は、町の平和と人々の幸せを守るため怪獣攻撃隊MATへ入隊。
ウルトラマンとしての自分と、郷秀樹としての自分との葛藤を抱えながら、次々と襲い掛かる怪獣や宇宙人を、時に周囲の人間達と協力しながら立ち向かっていきます。
初代ウルトラマンは、なかばハヤタ隊員の意識を乗っ取ってヒーローをしていたのに対して、『ウルトラマンジャック』は郷秀樹の意識が尊重されています。
変身方法も初代ウルトラマンが、自分の意思でペーターカプセルを使って変身していたのに対して、『帰ってきたウルトラマン』では郷秀樹がピンチに陥った時に変身します。(自分自身の強い意志で変身する事もある)
こういったヒーローとしての自分と、カーレーサーを目指していた青年の自分に葛藤する郷秀樹という設定は、現代の人達にも受け入れやすいのでは無いでしょうか?
あの『シン・ゴジラ』も『帰ってきたウルトラマン 第5・6話』の影響を受けている?
『シン・ゴジラ』と『帰ってきたウルトラマン 第5・6話』2つのあらすじを比較してみます。
『シン・ゴジラ』の簡単なあらすじ
巨大生物の仕業らしき事件が起こるも、政府は地震事故として処理。
出現した幼体ゴジラの実力を見誤って倒し損ない、第四形態と進化したゴジラに人間はボコボコにやられます。
国際連合によりゴジラに核兵器が使われようとする中、東京を守ろうとする主人公達の頑張りにより、何とかゴジラを無力化する事に成功し、東京に核兵器が使われずに済みました。
『帰ってきたウルトラマン 第5・6話 二大怪獣東京を襲撃・決戦!怪獣対マット』のあらすじ
巨大な卵のような物が地中から出現。郷秀樹の先輩マット隊員の岸田隊員はただの岩として一応光線銃で燃やし処理。
しかし、その中から怪獣『ツインテール』が出現。(余談ですがこの怪獣が髪型のツインテールの語源。)
このツインテールが目覚めた事により、『ツインテール』の捕食者である怪獣『グドン』も出現。
ウルトラマンは二体の怪獣を手に負えず敗走。二体の怪獣を核兵器を使って焼却処分しようという国際連合に交渉し、もう一度ウルトラマンとマットで協力して挑むから、それでダメなら核を使ってくれと国際連合側を何とか説得しました。
ウルトラマンとマット隊の共同作戦が成功し、見事東京に核兵器が使われずに済みました。
『シン・ゴジラ』と『帰ってきたウルトラマン 第5・6話』の共通点
上記の文を読むだけでかなり似ていることが分かります。(なんならエヴァンゲリオンの『決戦、第三新東京市』にも名前から内容まで似ています。)
『シン・ゴジラ』と『帰ってきたウルトラマン 第5・6話』の共通点は、
- 国際連合が核を利用しようとしているところ
- 日本政府側は核を使用せずに、敵を倒したい
の2点が大きな共通点。
さらに、日本政府側が敵(ゴジラ・グドン&ツインテール)を倒し損ねた場合、国際連合に核の利用を許可するという流れも、合致しています。
どちらの作品も、核を使わずに敵(ゴジラ・グドン&ツインテール)を無力化しているところ。
細かい話になりますが、両作品の物語の序盤では、主人公の上司にあたる人たちが敵の脅威や現状を甘く見ている。
どちらの世界でも国際連合側は核を使いたがりますが、自国を守る一番確定的な手段として核を使うしかないと言っているのです。
他にも似ているシーンや、話の流れは存在するのですが、細かい話になってしまうので後ほど記事にしようと思います。
それでは、何故こんなにも話の流れが似ているかと言うと、庵野監督は『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』が心の底から大好きだからです。
『昭和ウルトラマンシリーズ』を意識しないのは無理、と語る庵野監督。
庵野秀明監督は『帰ってきたウルトラマン』を好きな特撮作ベスト5にも含まれています。
庵野監督は昔のインタビューで、「子供の時受けた影響(ウルトラマンから)が衝撃的すぎて、意識してもしなくてもウルトラマンに似た部分が入ってしまう」と語っています。
また、「ウルトラマンが完成されすぎた作品なので面白い物を作ろうとすると、自然に似る」とも語っています。
庵野監督は学生時代『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』という自主制作映画を手がけています。
この『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』は日本SF大会のプロモーション映像として流されました。
作品の序盤は、すごく真面目な雰囲気で怪獣との戦いを描き、最後の最後で登場するウルトラマンが庵野監督自身の顔がそのまま巨大化して怪獣と戦います。
一見ウケ狙いでふざけているように聞こえますが、観ているうちに特撮によく使われていた効果音やウルトラマンっぽい演出のおかげで、庵野監督がほんとにウルトラマンに見えてきます。
(私は保育園の頃、どこからか父が入手してきたビデオで初めて見ましたが、はCGや演出がよく出来すぎていたため、ほんとに人間の姿のまましか巨大化できない「できそこないのウルトラマン」がいるのかと思っていました笑
高校生になって『アオイホノオ』の影響で再度見直した時、その完成度の高さに感動しました笑)
なぜ『ウルトラマン』ではなく『帰ってきたウルトラマン』なのか。
結局のところ、できれば『昭和ウルトラマンシリーズ』を全て見てほしいです。しかし、強いて挙げれば『帰ってきたウルトラマン』を観てほしいです。
そこで『ヒーローとしての自分と普通の青年だった自分』に葛藤する主人公の『帰ってきたウルトラマン』は、現代の多くの主人公像に当てはまる部分があるのでかなり見やすいと思います。
古い作品を観るのが苦手だと言う人も、『帰ってきたウルトラマン』は夕日をバックに戦うウルトラマンと怪獣など、様式美を楽しむと思って視聴してみてはいかがでしょうか?
次の記事では上記で少し書いた庵野監督の学生時代の自主制作作品『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』から、『シン・ウルトラマン』について考察していきますのでよろしければご覧下さい!
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