賛否両論、分かれている『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』。
その原因の1つでもある「ルーク・スカイウォーカーのセリフ」について。新3部作の完結編となる『スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け』で、『ルーク・スカイウォーカー』の役目とはなんだったのでしょうか?
タイトルにもつながる『ルーク・スカイウォーカー』の前作からの変化について考察していきたいと思います。
目次
『スターウォーズ 最後のジェダイ』では、やさぐれていたルーク。
『スカイウォーカーの夜明け』を語る前に『 最後のジェダイ』について軽くおさらいしていきます。
ジェダイの最初拠点である惑星オク=トー。そこでレイは、ついにルークと会うことができる。レイはライトセーバーをルークに渡すが、ルークはライトセーバーを放り投げてしまう。ルークは歴史や失敗から、「ジェダイは自分を最後にするべき」と考え、レイへの修行を拒む。
その後、レイが助けを求めても「光る剣で戦えと?」と戦うことを拒み続ける。
しかし、R2-D2やチューバッカとの再会や、ソロが殺されてしまったことに動揺。さらにR2が説得のため、『スターウォーズ 新たなる希望』で見せた、レイア姫からの助けを求めるメッセージを再生。これにはファンもルークも「ずるいぞ」の苦笑い。これによりレイに修行することを決める。
レイは始めはフォースの使い方が、ままならなかったが、徐々にフォースの強さや心の闇を感じるようになったルーク。強いフォースを持っていながら、ダークサイドへと落ちたかつての弟子カイロ・レンと、レイを重ねてしまう。
カイロ・レンはフォースの力で、ルークが自分を殺そうとしたこと(誤解であり、ルークはとどまっている)をレイに見せる。
過去について話さなかったルークに対し、不信感を持つレイ。結果、カイロ・レンを暗黒面から助け出すために島を抜け出し、彼に会いに行ってしまう。
同じ過ちをおかしてしまったと悩むルークに、ヨーダの霊体が現れ、ルークが燃やすべきと判断していたが、躊躇していたジェダイ寺院を雷を落として燃やしてしまう。
ヨーダから「あんな本など意味がない、多少の知恵はつくだろうがそれは大切ではない。大切なのは教えること。極めた業も、失敗も後悔も全て教えてやれ、失敗こそ最大の師だ。」と諭されたルークは、レイや反乱軍を助けると決心する。
ファーストオーダーに追い詰められていた反乱軍の前に現れ、カイロ・レンの幻影を出して翻弄するも、力を使い切ってしまい過去のジェダイの騎士達のように霊体化する。
そして『スカイウォーカーの夜明け』へと繋がり、レイを助言していく。
やはり、グダグダのファーストオーダーと反乱軍の追いかけっこのせいで、話がよく分からなくなっていたが、まとめてみると案外『スターウォーズ 最後のジェダイ』は良い話なのかもしれません。
「昔強かった人が、過去の友人に諭されて再び戦う。」
こういった王道展開や、スターウォーズっぽさの演出は上手いです。しかし、このルークの感じ誰かに似ている感じがするのです。個人的にはこのエピソード8.9にはモデルとなる人物がいると考察しています。
『スターウォーズ 最後のジェダイ』でルークのモデルとは誰か?それはジョージ・ルーカスだと考察します。
『最後のジェダイ』でルークは、ジョージ・ルーカスの代弁者だった。
実際の所、モデルと言うよりはキャラクターが重なっていると言ったほうが正しいかもしれません。
J脚本を読んだ、ルーク・スカイウォーカー役のマーク・ハミルは、「これは僕が思い描いているルークと違う。だけど全力で演技する」と語っていたそうです。(私も違うと思います。)
それではマーク・ハミルが思い描いていたルーク象はどんなもだったのか?それは、
「一児の母である未亡人と恋に落ちたルーク。ルークはジェダイを引退し、未亡人と幸せな家庭を築くが、子供が誤ってライトセーバーを暴発させてしまい命を落としていまう。」
これがマーク・ハミルが描いていたルークの老後です。ソース元はこちら
かなり重い設定ですが、このルーク象をもちながらマーク・ハミルが演技していたとすると、大切なライトセーバーを見つめてから放り投げてしまう演技も、すごく感慨深いものになります。
マーク・ハミルは、ジョージ・ルーカスと共に『スターウォーズ』をつくりあげてきました。
J・J・エイブラムスは『ライトセーバー』を「最高の戦闘シーンとる」ことや「興奮や恐怖」の道具だと思っているようですが、ジョージ・ルーカスとマーク・ハミルが描く『ライトセーバー』は違いました。
スターウォーズが影響を受けた『七人の侍』が農民を助けるために剣を奮ったように、ライトセーバーとは、『誰かを助けるために、守るために使うもの』として描かれていたのです。そういったライトセーバーの扱いに、かのスティーブン・スピルバーグも賞賛を送ったのです。
ここまで知るとマーク・ハミルの「光る剣で戦えと?」というセリフが、違った意味に聞こえてきます。マーク・ハミルは、ルークをあくまでジョージ・ルーカスのルークとして演技したのでした。
『スカイウォーカーの夜明け』でのルークはJ・J・エイブラムスの代弁者。
マーク・ハミルはジョージ・ルーカスが描いたルークとして、子どもを失ったような演技で、『最後のジェダイ』の役を演じたが、それは奇しくも「子供(スターウォーズ)を奴隷商人(ディズニー)にとられた」と嘆く、ジョージ・ルーカスと重なるものがあります。
しかし、『スカイウォーカーの夜明け』ではまた違う様に見えました。
『スカイウォーカーの夜明け』でのルークは、レイに対して「私は間違っていた」と言ったり「ライトセーバーを大事に扱え(過去の自分への皮肉)」と言います。
これはもうJ・J・エイブラムスの代弁としか聞こえません。笑
ルーク・スカイウォーカーは『最後のジェダイ』での悪態が嘘のように、レイに対して良い師として務めます。
『フォースの覚醒』『最後のジェダイ』とファンの期待や思いを散々壊してきたJ・J・エイブラムスは、つかの間のスターウォーズっぽさを『スカイウォーカーの夜明け』で見せてくれました。
これに関してはまた記事を上げますが、J・J・エイブラムスは、「想像することが何よりも楽しい」と言い訳をして、エピソード7.8で広げた風呂敷をたたむより、放り投げてファンに寄せるよう進路を変えました。
これが幸をなしたのか、世間は『前作よりマシ』という情けのような評価を多く残しました。「用意されたビックリ箱には何も入ってない」というサプライズをドヤ顔でしていたJ・J・エイブラムスは、「私は間違っていた」と認めたのでした。
後のインタビューや海外誌を見る限り、なにか遺恨があるようですが、しかし、それもディズニーからしたら都合がいいのです。
謎や伏線が残されていればまたエピソードを製造できますからね。
ハンやレイア、ルークに新キャラクターのカイロレンですら作品の被害者出会ったように、J・J・エイブラムス自身も被害者だったのかも知れません。
よければカイロ・レンについて、書いた記事もどうぞ!