『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開を控え、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の序・破・Qの三部作が映画館で4Dリバイバル上映されたり、無料放送があったりと、『エヴァ』の新規のファンがどんどん増えています。
本記事では『エヴァ』を観ていて、一番難解といってもいい存在、『使徒』に関する解説や考察を紹介していきます。
ぜひ、Youtubeでも第壱話「使徒、襲来」が公式で配信されていますので、ご覧になってみてください。
そもそも使徒とはなんなのか?
新劇場版とTVアニメ版で、違いがあるようで意外になかったりする『使徒』の正体に迫ります。
- 使徒と人類の生存競争。しかし、実は人間も使徒だった?
- 各作品に登場する使徒の名前の由来は?
- なぜ?使徒がシンエヴァや旧劇場版には登場しない理由。
- 「人に似てるのが怖い。」使徒の怖さの正体、類感呪術。
- 使徒の正体。シンジは怖さを乗り越えて大人になる。
少し長めの記事にはなりますが、1個人の考察として読んでいただければと思います。
目次
使徒と人類の生存競争。しかし、実は人間も使徒だった?
※下記についてはTVアニメ版、新劇場版どちらかについて言及されたり設定も含みます。
日本、第三新東京市に設置されたNERV本部を目指し、だいたい週1回のペースで襲来する謎の生命体。
目的はNERV本部地下に幽閉されている第二使徒リリスとの融合をはたすためであり、人類が邪魔をしなければ戦いにはなりません。
ただ、リリスと使徒が融合をはたすと人類は滅ぶとされており、襲来する使徒との戦いを避けることはできません。
地球を住処とし、支配しているのは人間のつもりでしたが、本来地球を支配していたのは「第一使徒アダムから生まれた使徒達」だったのです。
しかし、第二使徒リリスが地球に衝突し、その衝撃で「アダム産使徒」は休眠することとなり、その間に「第二使徒リリスから生まれたリリン(人間)」が繁栄することとなりました。
第二使徒リリスから生まれたリリン(人間)、つまり人間も大きなくくりでは「使徒」であり、人間と使徒との戦いは、地球という縄張りを賭けた生存競争だったのです。
それが、ゼーレによる人類補完計画のせいで『エヴァ』の世界はややこしく見えてしまうのです。
使徒にも「心」「魂」「精神」というような概念を持ち、個体よっては人間の「心」を探ろうとしたものも存在します。
アダム産の使徒の体内には「S2機関」と呼ばれる永久機関があり、無限に自己再生することができます。
さらに、ATフィールドという強力なバリアを持ち、ミサイルや爆弾などの通常兵器では傷一つつけることができません。
同じくATフィールド展開能力を持ち、使徒のフィールドを中和・浸食させてコアを直接攻撃することのできる、「汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン」のみが使徒への対抗兵器になります。
TVアニメ新世紀エヴァンゲリオン「最後のシ者」にて、実はこの『ATフィールド』とは同じく使徒である人間も誰しもが持つ「心の壁」だということが判明します。
各作品に登場する使徒の名前の由来は?
TVアニメ版の使徒には全て名前がつけられており、キリスト教の初期に広く知られていたと言われている聖書偽典の「エノク書」の天使の名前から由来しています。
例えば初号機と初めて戦った使徒『サキエル』は、ユダヤ教やキリスト教における(諸説あり)水を司る天使の名であり、水の中を泳いでいる姿が確認されました。
他にも力を司る天使の名を冠する『ゼルエル』は作中屈指の防御力、破壊力を持ち、零号機と弐号機を返り討ちにしてみせました。
新劇場版では、第三使徒以降の使徒に名前はついておらず、すべて「第〇の使徒」と呼ばれます。
しかし、外見が旧作と似ている使徒は、その特徴も引き継いでいます。
サキエルと外見や攻撃方法が似ている「第4の使徒」は、水の中を泳ぐ姿こそ描かれていませんが、冒頭で水しぶきあげています。(姿は見えていないが)
ゼルエルと外見や攻撃方法が似ている「第10の使徒」も、TVアニメ版同様、零号機と弐号機を返り討ちにしています。
ただ、使徒の名前が天使の名を持つからといっても、ちょっと特徴に似ているところがあるだけであってシナリオやストーリーが、名前の元ネタの天使になぞったりするようなことはありません。
なぜ?使徒がシンエヴァンゲリオンや旧劇場版には登場しない理由。
「新世紀エヴァンゲリオン(TVアニメ版)」
「まごころを、君に(旧劇場版)」
この2作品の世界において、使徒とエヴァとの戦いはあくまで前座にしかすぎません。
すべてを知っている物語の黒幕ポジションであるゼーレからしたら、使徒をすべて倒しきってから行われる儀式、『人類補完計画』がメインイベントなわけです。
「エヴァンゲリオン」というストーリーは「全ての使徒を倒しきって終わり」というものではなく、「人類補完計画(人間を液状化させてひとつにまとめる)を阻止できるか?」の方が肝心なのです。
より正確に言えば、「人類補完計画の鍵となる主人公碇シンジが、人類補完計画を否定できるようになるか?」です。
もちろん、ゼーレに反抗する組織が人類補完計画を止めることができればいいのですが、やはり碇シンジの協力が必須となるでしょう。
しかし、「巨大ロボットにのって謎の巨大生物と戦う」という異様な青春がシンジにとって人との関わり方を学ぶ大事な期間になったので、碇シンジにとって『使徒』は良くも悪くも重要な存在になったはずです。
さて、気になるのは『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では使徒が登場するかです。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で一応全ての使徒が排除されたと語られています。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』にはEVAMark4シリーズのような量産機が登場し、使徒のような仮面をつけていますが、「使徒もどき」と呼ばれているだけに使徒とは別物であり、ただS2機関を持っているだけだと考えられます。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では、Qの続きと新しいエヴァの世界が描かれると考えられており、そこには見たことの無い姿の全く新しい『使徒』が描かれるかもしれません。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の予告では一応使徒である「渚カヲル」の姿も描かれており、単なる回想シーンかもしれませんが、『シンエヴァ』にて再登場をはたす可能性はゼロではありません。
個人的には、旧劇場版やQで描かれたような正直エヴァ同士の戦いも好きですが、『エヴァVS使徒』のような、エヴァが人外の化物との戦うシーンがやっぱり好きなので、可能性は低いですが、そういったシーンがあることをちょっとだけ期待しています。
「人に似てるのが怖い。」使徒の怖さの正体、類感呪術。
「使徒」といえばなんとも言えない不気味さがあります。あの不気味さはなんなのでしょうか?
やはり人間に似ているところに怖さを感じるのでは無いでしょうか?
使徒の正体は、もともと人間と同じ、使徒は生命力を選び、人間は知力を選んだだけです。
使徒には人間っぽさが垣間見得る時があります。
人間っぽい腕や足、見た目が人間に似ていない使徒でも女性の悲鳴のような声を出したりします。
この微妙な人間感が不気味で怖いですよね。
人はつい同じ人間のような形をしたものに、「力がある」と感じます。
人面魚なんかを怖がったりするのもそうですが、日本だと丑の刻参りも有名です。
人間を模した藁人形に釘を刺すことで、呪いが生まれると思ってしまいます。藁人形自体なんだか不気味に感じます。
これを『類感呪術』と呼びます。
人はつい人間に「似ている」「共通点がある」ものに対して、「力が宿っている」と考え、「怖さ」を感じてしまうのです。
ただ、怖さを感じる反面「強さ」を感じることもあります。ガンダムやエヴァが人型であるのは、やはり人型の方が「何とかしてくれそう」だからだと思います。
使徒に対してエヴァでなければ対抗出来ず、ミサイルや戦車などの通常兵器では歯が立たないです。これには「使徒にはATフィールドがあるから」、「怪物対人型ロボットの図を完成させるための設定」など色々理由はあります。
しかし、「人型なら勝てそう」と思うというのが一番の理由だと思います。このように人型のものにはついつい「力」を感じてしまいます。
「人型」というのは使徒の怖さの正体でもあり、エヴァの強さの正体でもあるのだと思います。
終わりに:使徒の正体。シンジは怖さを乗り越えて大人になる。
「使徒」といえばなんとも言えない不気味さがあります。あの不気味さはなんなのでしょうか?
やはり人間に似ているところに怖さを感じるのでは無いでしょうか?使徒の正体は、もともと人間と同じ、使徒は生命力を選び、人間は知力を選んだだけです。
選んだというよりは「与えられた」というのが適切です。
実際にはアダムが「使徒」に単一個体で生きていけるほどの『生命力』を与え、リリスは「人間」に個体では生きていけずとも、考えて互いに協力できるような『知恵』を与えました。
知恵がないだけで使徒は根本的には、人間と似たような存在であり、人間っぽさが垣間見得る時があります。
人間っぽい腕や足、目のような模様、見た目が人間に似ていない使徒でも女性の悲鳴のような断末魔を上げたり、人間と意思疎通しようとした使徒までいます。
この微妙な人間感が不気味で怖いですよね。
人はつい同じ人間のような形をしたものに、「力がある」と感じます。人面魚なんかを怖がったりするのもそうですが、日本だと丑の刻参りも有名です。
人間を模した藁人形に釘を刺すことで、呪いが生まれると思ってしまいます。藁人形自体なんだか不気味に感じます。
これを『類感呪術』と呼びます。
人はつい人間に「似ている」「共通点がある」ものに対して、「力が宿っている」と考え、「怖さ」を感じてしまうのです。
ただ、怖さを感じる反面「強さ」を感じることもあります。ガンダムやエヴァが人型であるのは、やはり人型の方が「何とかしてくれそう」だからだと思います。
使徒に対してエヴァでなければ対抗出来ず、ミサイルや戦車などの通常兵器では歯が立たないです。これには「使徒にはATフィールドがあるから」、「怪物対人型ロボットの図を完成させるための設定」など色々理由はあります。
しかし、「人型なら勝てそう」と思うというのが一番の理由だと思います。このように人型のものにはついつい「力」を感じてしまいます。
「人型」というのは使徒の怖さの正体でもあり、エヴァの強さの正体でもあるのだと思います。
使徒と対峙することで、本来人間に対して感じる『怖さ』を感じることができます。
それはシンジが成長するために大切な過程です。
幼い頃に母が亡くなり、父に捨てられ、人との関わりがまったくなかったシンジは、「人類存亡の危機をかけて使徒と戦う」ことで周りの人物と関わっていきます。
「巨大ロボットに乗って使徒と戦う」という非日常的で、異様な日常こそシンジにとっての青春なのです。
その青春があったからこそシンジは、人類補完計画の最中、「他人のいる世界」を望むことができたのです。
エヴァにはもともと青少年に向けた「人の本質とは何か? 人は何のために生きるのか」というような普遍的なテーマがあります。
「ヤマアラシのジレンマ」など、対人関係でなやむ主人公の人間への怖さをそのまま体現しているものこそ「使徒」なのだと思います。
使徒の怖さが類感呪術だとしても、中にはガギエル(魚型)やイロウル(細菌型)、アラエル(鳥型)のような完全に人間離れした使徒もいます。
ただ、面白いことにそういった使徒と戦う話は、シンジは脇役に過ぎず、他のキャラクターがピックアップされている時なのです。(ガギエル戦はアスカ、イロウル戦はリツコ)
そしてシンジが主人公の話だとしても人型では無い使徒、レリエルに立ち向かうシンジは使徒を恐れていませんでした。
「お手本見せてやるよ!」なんて劇場版しか見たことがない人にはシンジが言ったとは考えられないようなセリフをアスカに言い放つ始末です。
そして結局使徒に取り込まれ、ピンチになり、他人の記憶を思い出し、はじめて恐怖を感じるのでした。
使徒の正体については、聖書や神話なんかからインスピレーションを受けたことは確かだとは思います。
それはあくまで物語について深みがあるように感じさせるためであり、使徒の正体とは人間の怖さを知るための試練のようなものだと思います。
しかし、ただ怖さを知るためだけのものではなく、親愛、家族愛、信頼、などをシンジが知るため、成長するために、使徒というものが存在すると考察します。
人が成長するのに上でぶつかる対人関係、それをわかりやすいように形にしたものこそ使徒だと思います。
長い文章になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。