※公式『メイドインアビス』より
劇場版も公開、アニメBlu-ray&DVD発売、現在(2020/03/29 02:19:17)Amazonプライムビデオにて無料公開中、コラボカフェ開催と、盛り上がり続ける『メイドインアビス』。
そこで、今回は『メイドインアビス』の最終回の考察、というよりも「こういう展開だとおもしろい」という記事になります。
伏線等にも触れますが、ガチな考察というよりも、私の個人的妄想に近いのであしからず。
そういう記事でも全然OK!という方は読み進めていただけると嬉しいです。
前置きはこのくらいにしてさっそく本題に入っていこうと思います。
目次
メイドインアビスのラストにはサプライズがあるはず。
可愛い絵でほのぼの系のファンタジーと見せかけて、実はハードでグロテスク、それでいて深いメッセージ性があるギャップに、魅力された方が多くいると思います。
アビスの奥に潜れば潜るほど、元の暮らしには戻れないと分かっていても、『好奇心』を糧に主人公は突き進みます。
アビスの奥地にいる母親と再開したいという気持ちも、もちろんあると思いますが、一番の原動力は『アビスの最奥には何があるのか?』という好奇心でしょう。
最終回では、「母親に会えてハッピーエンド」「これからは最奥にたどり着いたもの達だけで暮らしていく」というのも、もちろんあるかもしれません。
しかし、読者を驚かし続けてきた『メイドインアビス』という作品が、一筋縄で終わるとも考えにくいです。
きっと読者を驚かせる、ダークで少しハッピーなサプライズがあると期待してしまいます。
そのサプライズの部分を考察していこうと思います。
SFっぽい「メイドインアビス」。
普通のファンタジーでは描かれないくらい、「魔法」や、現実にはいない「生き物」。
それに対してどのように「人間」が立ち回るかをリアルに描く作風は、ファンタジー作品でありながら、どこかSF作品っぽい雰囲気を感じます。
アビスという世界にぽっかり空いた大穴、それに挑む人間達。
とんでもない設定に対して、物理的な矛盾をくどくど説明するのではなく、とんでもないものがある世界で、
人間が「どう対処するのか?」「どう暮らすのか?」を描く部分は、SF作品と似たものがあります。
現実にはありえないものが存在するからこそ、現実では見えにくい「人間の本質」が見えてきます。
SFという点から『メイドインアビス』を見ると、どうしても思い出す作品があります。その作品とは、『老年期の終り』です。
すこしふしぎな名作。『老年期の終り』とは?
『老年期の終り』とは、藤子・F・不二雄氏によって作られた、短編漫画です。
あらすじ
宇宙飛行士の青年イケダは、6000年の人工冬眠を経て地球から5000光年離れた惑星「ラグラング」に到着した。そこには言葉の通じる人間が存在していた。
異文明同士と初の接触のはずなのに、落ち着いているラグラングの人々。惑星には人影は少なく、活気もない。
それもそのはず、この惑星はその日で放棄されるのだった。ラグラングの人々は母なる地球に帰る支度をしていた。
イケダな6000年人工冬眠で宇宙を旅している間、地球ではワープ技術が開発され、地球からは60日で行けるようになっていた。
イケダは絶望した。ラグラングは銀河系を探索するための中間に過ぎなかったのだ。
光速の壁を破った人類の勢いは増していった。
人口爆発に文明の進歩、画期的な発明の連続。その頃が人類の「青年期」と言えるかもしれない。
しかし、一時を境に出生率どんどん低下していき、宇宙各地からの人類は撤退、これといった発明も生まれなくなっていった。
銀河系が開拓し尽くされた訳でもない、なによりも、人類全体が「人間が宇宙全体に広がったところでなんになる」と考えるようになってしまったのだ。
しかし、イケダは絶望することをやめた。
ラグラングにもかつて活気があったこと、銀河系全体が開発されし尽くされた訳ではないことを聞いたイケダは、またしても自分が乗ってきた旧世代のロケットで旅立つことを決心した。
イケダの決心についていく者、ラグラングに残ると決めた者、地球に帰る者、全てが一コマに描かれてお話は終わる。
短編と言って侮るなかれ、読み終わったあと大作の映画を観たあとのような余韻が残ります。
終わり方もさることながら、お話の設定が秀逸です。
「6000年間の人工冬眠」という言葉だけでもお話1本かけそうなのに、それさえも皮肉に使ってしまう大胆な展開が、さすがは藤子・F・不二雄氏と言ったところです。
宇宙では「ウラシマ効果」によって、時間がゆっくりになります。
ゆっくりと言っても、宇宙空間で光速に近い動きをしているものが、地球にいる人間と相対的に比べて、「歳をとるのがゆっくり」になっているだけですが。
宇宙船が光速に近い速度で移動をすると、地球と比較して時間の流れが遅くなります。
この作品で、イケダが6000年間の旅をしたと聞くと、そのまんまに意味を捉えてしまいそうですが、「地球ではもっと途方もない時が流れている」ということです。
だからこそ「ワープ技術」という人類が開発するのに何万年もかかりそうなものさえ作れてしまい、ついには追い抜かれてしまったのです。
この設定ににたものが、『メイドインアビス』にもあるのです。
その設定とは「アビスの中では、時がゆっくりになる」というものです。
だからこそ何年も前にアビスの中で行方不明になった、母親の生存に希望が持てるのですが、これは怖い設定でもあります。
メイドインアビスのラストはみんな揃って大団円?
『メイドインアビス』の主人公リコは、相棒のレグとともに、小さい頃から苦楽を共にした仲間と今生の別れを経て、アビス攻略へと挑みました。
恋人や家族と別れて6000年間の旅に臨んだイケダと同じです。
リコがアビスの最奥にたどり着いた時、「母親に会えるか」「どんな秘密が隠されているか」はわかりません。
しかし、一筋縄のハッピーエンドでは終わりそうにない『メイドインアビス』。なにかサプライズがありそうです。
そのサプライズとは「地上のみんなに簡単に追いつかれてしまう」では無いでしょうか?
リコ達が壮絶な冒険の末、アビスの奥地にたどり着いた頃、地上では長い月日が流れていた。
地上ではこれまでには無い、画期的なアビス攻略の発明がされる。
大人になった仲間達は、その発明を使って、今だ子供姿のリコ達と再開を果たす。
どうでしょうか?
もちろんリコ達は「アビスの秘密を独り占めしたい」というような欲望によってアビスに潜ったわけではありません。
母親に会いたい、アビスの真相を知りたいという純粋な好奇心によるものです。
それでも自分たちが壮絶な冒険の末たどり着いた場所に、簡単に来られてしまうというのは、リコ達にとって、なにか感じるはずだと思います。
わざわざ「アビスの中では時間が経つのが遅い」という設定があるからには、それをいかす場面がいつか来ると思います。
そしてそれが一番効果的に発揮されるのは、やはりラストだと思います。
しかし、「リコ達が簡単に追いつかれてしまい、なんともいえない気持ちを抱えて終わり。」とは考えにくいです。
私もそんな終わり方をみたくはありません。笑
そこはやはりイケダのように、これからの未来に希望をもって終わって欲しいです。
それに、地上の人達がアビス攻略の画期的な発明ができたのは、「リコ達が送った手紙からの情報があったからこそ」という説明がされれば、リコ達も報われるのでは無いでしょうか?
リコ達の冒険は確かに合理的なものではなかったかもしれない。
それでもリコ達の冒険があったからこそ、地上の人達も、簡単にアビスに潜ることができるようになった。
こんな終わり方がおもしろいと思っています。
壮絶な冒険の末たどり着いた奥地でも、数年たった地上の発明で簡単にたどり着けるようになってしまう。
しかし、それは人間の果てしない探究心と好奇心があるからこそできたことです。
人間の好奇心という感情をそのまま形にしたようなリコは、追いつかれたくらいで、絶望しないでしょう。
自分たちの冒険に意味を見つけて、次に活かすはずです。
そんな人間賛歌こそ『メイドインアビス』のラストにあるのではないかと思います。
余談・トップをねらえ的な終わり方もおもしろい。
ここまで読んでくださった方は思ったかもしれませんが、今回の記事は考察というよりも、これまであった「秘境探索作品」や「SF作品」をふまえた、「こういう終わり方あるかもね」という妄想に過ぎません。
妄想繋がりですが、逆に『トップをねらえ』のように、「リコ達が何年もかけて、アビスから地上に帰るすべを見つけて、帰ったら人類が完全に衰退していた。」というのもおもしろいかもしれませんね。
なにか、新しい情報が出次第、またちゃんとした考察をしていきたいと思いますので、その時も読んでいただけると嬉しいです。
それでは次の記事で!