みなさんは「もののけ姫」を劇場で見たことはありますか?
以前、「一生に一度は、映画館でジブリを。」というジブリの過去作が映画館でリバイバル上映された時に、『もののけ姫』を劇場で観ることができました。
いざ上映が開始されると迫力に圧倒されました。どれもDVDで何度も観た作品にもかかわらず、新しい発見(映画館の音響だからこそ聞ける音)があり、1000円ちょっと(特別価格)で、それだけ楽しめるのはめちゃくちゃお得だと感じました。
また、再上映してほしいものです。
もののけ姫の導入部、久石譲氏作曲『アシタカせっ記』が流れた時には泣きそうになりました。
本記事では、『もののけ姫』を観たくなるような、観たことある人は次に観るときにより面白くなるように、もののけ姫の本当のタイトルである『アシタカせっ記』に焦点を当てて、考察や解説をしていきます。
目次
『もののけ姫』の本当のタイトルは『アシタカせっ記』
みなさん『もののけ姫』はもともと『アシタカせっ記』というタイトルだったことはご存知でしょうか?
┥├
耳耳 記
と書いて『せっ記』と読みます。旧字体の草冠が使われた宮崎駿監督の造語であり(だから変換しても出てきません)、伝説や伝承という意味です。
草に埋もれながら 耳から耳へと語り継がれた物語のこと
正史には残らない 辺境の地に生きた ひとりの若者のことを
人々は いつまでも忘れずに語り継いできた
アシタカと呼ばれた その若者が
いかに雄々しく 勇敢だったかを
残酷な運命に翻弄されながらも
いかに深く 人々や森を愛したかを
そのひとみが いかに澄んでいたかを
山に生きる 忍耐強い人々は つらい暮らしの中で
くり返し くり返し 子供等に語り継いだのだった
アシタカのようにおなり
アシタカのように生きよ と
(『もののけ姫』イメージボードより)
人知れず語り継がれてきた伝承、『アシタカせっ記』とは、要は『アシタカ伝説』という意味だと思っていただいて大丈夫です。
『もののけ姫』は「人と自然がどう生きるか」という物語に見えますが、本当のメインテーマは「呪いを負っても、なお懸命に生きたアシタカ」という部分に焦点を当てられてつくられたお話だということです。
しかし、鈴木敏夫プロデューサーによって「『アシタカせっ記』では集客が見込めないから、もっとわかりやすい『もののけ姫』にしよう」ということで、タイトルは変更されました。
冒頭でも書きましたが、ここで重要なのは、もともとアシタカが主人公として作られた物語ということです。
「そんなこと知ってるよ!」と思う方もいるかもしれませんが、メディアの多くは誤解しているものが多いです。
エボシやタタラ場の人々、モロや山の神々、そしてもののけの姫であるサン、色んなキャラクターが魅力的に描かれていること。
そして『もののけ姫』というタイトルもあいまって、サンを中心とした群像劇のようなストーリーになんとなく見えてしまいます。
『もののけ姫』は「人と自然がどう生きるか」という物語に見えますが、実は「呪いを背負っても、なお懸命に生きたアシタカ」という部分に焦点を当ててつくられたお話です。
鈴木敏夫プロデューサーによる、タイトルの急な変更で混乱してしまいますが、あくまで『もののけ姫』とは、もともと「不運にも呪いを受けてしまった若者の心情や生き様」を描いているのです。
なぜアシタカは、カヤのネックレス(玉の小刀)をサンにあげたのか
呪い解く方法を探す旅に出る為、アシタカは文句の一つも言わずに旅に出ようとします。
カヤはアシタカを「兄様」と呼んでいることから、2人の関係はおそらく小さいころから許嫁として育てられていたと考えられます。
そんな中、許嫁だったカヤは、村の掟に背き、旅立つアシタカを見送りに来ます。
カヤはお守りに玉の小刀をアシタカに渡し、アシタカはそれを受け取り旅立っていきます。
そして、その玉の小刀をアシタカは、物語終盤に戦に臨むサンにお守りとして渡します。
村を守るため、仕方なくタタリ神を殺し、不運にも呪いを受けてしまったアシタカは、それを解く旅に出ます。
旅に出ると言っても、ほとんど追放、半ば強制です。(この事については後述します)
呪いを解けるかどうかは絶望的な状態にあります。
そんな中、見送りに来た許嫁を心配させまいと、理不尽な呪いを受けた怒りと悲しみを抑え、笑顔で立ち去るアシタカは、誰がなんと言おうと最高にいい男です。
しかし、このシーンのアシタカの行動を理解できないと感じた方も多いかと思います。
「女の子から貰ったプレゼントを他の女の子にプレゼントするなんてひどい」
映画を観ていて、こう思う方が少なくないようです。
アシタカの性格がやや天然気味な上に、カヤとサンの声優さんが同じ人なので、余計に含みを感じる方が多いようです。
そもそも、『もののけ姫』の舞台は室町時代とされています。
最近では、日本でも一夫一妻制になりましたが、歴史上では優秀な遺伝子を残すために、一夫多妻であった歴史の方が圧倒的に長いです。
現代ではあまり考えられないかもしれませんが、室町時代もまた、一夫多妻の慣習が行われていました。
宮崎駿監督は、設定に一切手を抜きません。
そういった時代背景であることを想定すると、感じ方も変わってくるかと思います。
また、「貞操の証である玉の小刀をアシタカに捧げた」というシーンは、カヤはすでに子種を授かっているという意味で間違いありません。
つまり、アシタカの遺伝子をカヤが受け継ぎ、子宝に恵まれたということです。
同じように、アシタカとサンの関係もそういうことです。(おそらく山犬のねぐらのシーン)
これに関しては宮崎駿監督自身も否定しておらず、むしろ肯定的です。(あまり表立って言いませんが)
“カヤがアシタカを想う気持ち”と同じように、アシタカがサンに”生きていてほしい”と願っていたからこそ、小刀を渡したのではないかと考えられます。
それでも一夫多妻は、現代の価値観だと理解し難いと思いますが、子孫が語り継いだからこそアシタカは伝説となり、報われることになったのです。
久石譲が贈るアシタカへの鎮魂歌こそ『アシタカせっ記』
『もののけ姫』の劇中に使用される曲は、久石譲氏によって作曲されました。
中でも名曲『アシタカせっ記』は、宮崎駿監督の依頼により、アシタカという一世一代のいい男に捧げる鎮魂歌として用意されたものなのです。
死の呪いを受け、生まれ育った村から追放され、心の中は真っ暗でどこにもぶつけることができない怒りを抱え、それでも勇気をもって旅をするアシタカへ捧げる鎮魂歌なのです。
アシタカが旅立っていくシーンでは、もともと「アシタカの複雑な心情を表現した曲」だったそうですが、上記の理由によって壮大な曲(旅立ち 西へ)に変更されました。
造り手の登場人物への愛が感じられる最高のシーンです。
『もののけ姫』が主題歌とされていますが、元々のタイトルを考慮すると、『アシタカせっ記』が主題歌といっても過言ではありません。
また、上記にも書きましたが、アシタカは「呪いを解くために自ら旅に出る」という風に見えますが、実際のところ村を追放されたといっても過言ではありません。
呪い=死
というと、「村に居させてあげて、看取ってあげればよくない?」と思ってしまわなくもないですが、そんなに簡単な話ではありません。
「アシタカはやがてタタリ神になってしまう。」これは避けられないことなのです。
「理不尽な死を受け入れられず、いつか呪いをふりまく怪物になってしまう。」村で唯一、ひいさま(最初のおばあちゃん)がこれを理解しており、だからこそアシタカを村から追放しなければならなかったのです。
序盤だけ見ていると「呪い=寿命が縮むだけ」「呪い=怪力を得る」というように見えてしまいますが、さすが宮崎駿監督ということで、序盤・中盤・後半と段階的に、アシタカがなぜ追放されなければならなかったのか、その理由を観客にも納得がいくように描かれています。
その理由とは、アシタカと同じ”呪いを背負った者達”が描かれているシーンです。
もしアシタカが、呪いを解くことができなかったら。
物語の始まりとも言える存在、『タタリ神』。その正体は、それなりに名のある主でした。
名をナゴの守といい、大きな体と勇気を兼ね備えた山の主です。
アシタカはそんな名のある山の主が、なぜそこまで荒ぶる(タタリ神として)のか理解できませんでした。
そして、実際にタタリを受けたアシタカも村を追放されながらも、呪いの代償に授かった力を駆使して物語を前に進めていきます。
しかし、とうとう物語中盤にその答えを知ることになります。
アシタカはタタラ場に立ち寄った際、エボシにハンセン病患者達が石火矢を作る工場に招待されます。
そこに居たのはハンセン病に侵されながらも、なお仕事に勤しむ人々でした。
これは、劇中のアシタカと重なります。
病に侵されながらも、それでも文句一つ言わず、精一杯生きています。他の人にはないハンデを負いながらも、怒りと憎しみを抑えて仕事に勤しみます。
そして、工場ではハンセン病の末期患者である、長と呼ばれる人物も登場します。
アシタカが呪いを産み続ける源、石火矢を作り続けるエボシに対して怒りを顕にした際、長はアシタカに語りかけます。
「エボシ様、その若者の力を侮ってはなりません。お若い方、私も呪われた身ゆえあなたの怒りや悲しみがよーくわかる」
「わかるがどうかその人を殺さないでおくれ。その人はわしらを人として扱ってくださった、たった一人の人だ。わしらの病を恐れず、わしの腐った肉を洗い布を巻いてくれた。」
「生きることは誠に苦しくつらい、世を呪い、人を呪い、それでも生きたいきたい。どうか愚かなわしに免じて…」
アニメーションの世界では、物語を面白く転がしていく手法として、主人公の人格やifの姿を別のキャラクターとして登場させる方法があります。
おそらく、ハンセン病に侵された長とは、「アシタカが呪いを解くことができなかった姿」なのではないかと考察できます。
「世を呪い、人を呪い、それでも生きたい」これは人間だけではなく、生物としての宿命なのです。醜いほどの生への執着。
劇中では、あの乙事主でさえタタリ神になってしまいました。
乙事主は、他のイノシシ達よりも聡明で、本来憎むべき敵の人間であるアシタカの言葉に耳を傾ける度量があるイノシシの王です。
死ぬと理解していても、イノシシ族の誇りの方を優先し、モロとの別れ際には、「たとえ我が一族が悉く滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」と潔さを語っていました。
タタリ神に変じてしまった、同じイノシシのナゴの守のことを悲しんでいましたが、最終的には乙事主も憎しみと死への恐怖からタタリ神なってしまったのです。(完全になる前にシシガミに命を吸われましたが)
アシタカも村の長としての度量をもつ、心優しい勇者です。
そんなアシタカは痣が体を蝕み、痛みに耐えれなくなったら自ら命を絶つでしょうか?
劇中の限りではそう見えなくもないですが、そんなアシタカでも呪いや痛みに耐えれるとは限りません。
だからこそモロはアシタカへ言います。
「つらいか そこから飛びおりれば 簡単にケリがつくぞ 体力が戻れば痣も暴れ出す」
「お前が一声でも うめき声をあげればかみ殺してやったものを、惜しい事をした」
アシタカですらいつかタタリ神になるのです。
世を呪い、人を呪い、それでも生きたい。
ハンセン病の長が語るシーンでは、なんとバックミュージックに『アシタカせっ記(をアレンジしたもの)』が使われているのです。
アシタカへの鎮魂歌である『アシタカせっ記』ですが、基本的にアシタカが活躍するシーンでしか流れません。
冒頭の物語が始まる時、ジコ坊と話すシーン、呪いで無双するシーンなどすべてアシタカに関する重要なシーンです。
この話はこちらの記事で
アシタカへの怒りや憎しみに震える魂への鎮魂歌は、ハンセン病の長にも使われているのです。
どうしようもない理不尽な受難、病に侵され、やがて何もできなくなり、あとは死を待つのみとなっても、自ら命は絶ちたくない。
アシタカは最終的に呪いを解くことができたからこそ良かったものの、呪いを解くことができなかったら必ずタタリ神になっていたでしょう。
しかし、だからといって腐らずに生き抜いたからこそ伝説になり、その姿は美しいと感じます。
そんなハンセン病の患者も、村の一員として受け入れるエボシ御前やタタラ場の謎についてもこちらの記事で解説しています。
まとめ:何年たっても魅力的な受難の勇者アシタカ
『アシタカせっ記』の歌詞の意味や作曲された経緯や作曲家の想い、劇中でつかわれるタイミングを意識することで『もののけ姫』の観方が面白くなります。
宮崎駿監督は当時『もののけ姫』がただのエコロジー映画として宣伝されることにおもうところがあったようですが、本当に伝えたいことは何だろうと考えながら観るのも面白いと思います。
以上まとめると
- 映画「もののけ姫」の本当のタイトルは「アシタカせっ記」。
- 旧字体の草冠が使われた宮崎駿監督の造語であり、伝説や伝承という意味が含まれている。
- 鈴木敏夫プロデューサーは「アシタカせっ記」では売れないから『もののけ姫』にタイトルを変更した。
- 「もののけ姫」はもともと「不運にも呪いを受けてしまった若者の心情や生き様」に焦点を当てて描かれている。
- 名曲「アシタカせっ記」は、宮崎駿監督の依頼により、アシタカという一世一代のいい男に捧げる鎮魂歌として用意された。
- 「アシタカせっ記」の作曲者は久石譲。
- ハンセン病の長や乙事主はアシタカの“呪いが解けなかったifの姿”
アシタカにはアメコミヒーローとは違うタイプの受難のヒーローです。宮崎駿監督は『もののけ姫』は『ゴジラ』の影響を多分に受けていることを語っていますが、『ゴジラ』も理不尽な受難の物語です。
ゴジラは日本人に対して怒りを体現したように破壊の限りを尽くす怪獣ですが、よく考えてみれば理不尽です。
ゴジラを生み出した原爆も放射能を生み出したのはアメリカなのに、なぜかその怒りや呪いを日本人にぶつけて大きな傷跡を残していきます。
アシタカの村を襲ったタタリ神も、本来ならばエボシの居るたたら場へ行くべきです。
“理不尽な受難を乗り越える若者”といういつの時代も普遍的なメッセージがあるからこそ『もののけ姫』もアシタカもいつまでも愛されているのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。