突然ですが、皆さんは『もののけ姫』で好きな登場人物はいますか?
私は小さい頃から『ジコ坊』が大のお気に入りです。
ガデムやランバ・ラルなど小さい頃からかっこいいおっさんキャラが好きでしたが、中でもジコ坊はかなりお気に入りです。
今回は『もののけ姫』に登場する謎の組織、『唐傘連』の正体や、それを束ねる『ジコ坊』というキャラクターについて解説、考察していこうと思います。
『もののけ姫』の劇中では特に語られることのなかった『唐傘連』という謎の組織ですが、実際の歴史と見比べてみると、いかに宮崎駿監督が『もののけ姫』という作品の背景を作りこんでいるか見えてきます。
目次
『ジコ坊』が持つ、アシタカにはない大人の余裕
名前 | ジコ坊 |
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登場作品 | もののけ姫 |
制作 | スタジオジブリ |
監督 | 宮崎駿 |
キャラクターの役割 | ジコ坊は、物語上悪役ポジションながら、飄々とした性格で、エボシや山の神達に並ぶ大人キャラクター |
正体 | 天皇直属民「供御人」と呼ばれる人々。平民よりも身分の高い人物。 |
組織 | 唐傘連(ジコ坊が率いる謎の組織) |
特徴 | 世俗の酸いも甘いも見極めた、物語の中でアシタカと対比されるキャラクター。 |
行動 | シシガミの首を求めて行動。天皇からの命を受け、唐傘連をまとめ上げる。 |
考察ポイント | ジコ坊の正体や、唐傘連の歴史的背景、ジコ坊の性格や行動について |
ジコ坊は、宮崎駿監督のアニメーション映画『もののけ姫』において、飄々とした悪役として描かれるキャラクターです。謎の組織「唐傘連」を率い、シシ神の首を求めて行動します。
ジコ坊は一見、剽軽で小太りの中年男性のように見えますが、身体能力は非常に高く、主人公アシタカと対等に渡り合っています。世慣れた気の良い性格で、アシタカとの初対面では義理堅く親切に接していますが、その裏には、シシ神の首を献上するためには手段を選ばない腹黒い一面も潜んでいます。
もののけ姫の序中盤から、終盤まで登場するジコ坊。
なんだか、物語上悪役ポジションながら、そうとも言い切れない性格が垣間見れます。
世間知らずのアシタカに対して、世俗の酸いも甘いも見極めた、エボシや山の神達に並ぶ大人キャラクターとして描かれています。
こちらの記事で「タタラ場に子供がいない理由」の1つとして、「アシタカの未熟さを際立たせる為」と書きましたが、ジコ坊はまさにアシタカとは正反対の大人の男、いや、サンと出会わずに大人になったアシタカの姿ともいえます。
見ず知らずの人に手を貸したりとどちらかと言えば善人な性格をしていますが、公私はしっかりわけており、仕事となれば非情にもなります。
しかし、他の唐傘連のように吹き矢やナイフなどの暗器は使わず、拳のみでアシタカと戦うところも個人的にポイント高いです。
アシタカと粥を食べるシーンもいいですよね、なんであんなシンプルな料理がおいしそうにみえるんでしょうか?
あのシーンでジコ坊が人の飯を食いすぎなところがよく問題視されますが、そもそもアシタカはジコ坊がいなければ米を買えていませんからね。
それに室町時代では、米よりもジコ坊が提供した味噌の方が遥かに貴重で高価であり、それをお玉で豪快にすくいとっていることからむしろ太っ腹です。(絵コンテにしっかり『味噌』と書いてある)
そもそも、そんな貴重な味噌を持ち歩いているジコ坊とは、どんな立場だったのか?お金には困っていない様子です。
それもそのはず、『ジコ坊』とは天皇直属民であり、平民よりも身分の高い人物だったのです。
劇中ではシシガミの首を狙う謎の組織『唐傘連』を、さらに上層組織の『師匠連』からの命を受け、まとめあげていました。
しかし、『唐傘連』や『師匠連』の正体は劇中では多く語られていません。
謎の組織といってしまえばそれで終わりですが、実際の歴史と見比べてみるとじわじわとその正体が見えてきます。
ジコ坊の正体は天皇直属民「供御人」と呼ばれる人々だった?
実際の歴史にはもちろん『唐傘連』というような組織は記録にありません。
しかし、宮崎駿監督がインスピレーションを受けたであろう人々はいます。
それは『供御人』や『神人』と呼ばれる人々です。
『供御』とは、もともと神や神に相当するもの(天皇)が食べるものという意味であり、『供御人』とは天皇が使うさまざまなものを貢納する人のことを指します。
『ジコ坊』も劇中で天皇の命をうけて、シシガミの首を求めていました。
室町時代ともなれば、天朝の権威は衰退しつつありましたが、それでも天朝から威光を借りることには大きな意味があります。
ジコ坊に渡された書付にはなんと書いてあったかはわかりませんが、神殺しを命じた理由には、単に不老不死が欲しいというだけでなく、天朝の権威を示すためもあったと思われます。
天皇直々に命令をうける『供御人』は平民よりも身分が高い存在です。
いわば人と神(天皇)の間の存在です。
鋳物師も供御人と同じように扱われており、天皇に燈炉や鉄を捧げる代わりに、自由に遍歴して鉄製品を販売する特権が認められていました。(自由通行権)
エボシに関しては少々自由すぎで、勝手に武器を開発したり、勝手に山を切り開いたりと、天朝の目にも悪い意味で目にとまっていたでしょう。
天朝への忠誠を確認するという意味も、神殺しにはあったかもしれません。
当時、神人や供御人は一般平民とは違った服装をしていたそうで、神人は黄衣、柿色の服を着ています。
つまり、『もののけ姫』に出てくるジコ坊や唐傘連、石火矢衆の服装は、宮崎駿監督流の「供御人ってこんな感じだったんじゃないか?」というイメージだと思います。
また15世紀に描かれた職人歌合には、平民に賤視されはじめた一部の職人達が描かれています。
神女性の職人もやはり被り物や髪型、眉の付け方が職種に応じたものになっています。
商業や手工業が神仏との結びつきから離れて、世俗的になっていったのも、やはりもののけ姫の時代、15世紀頃だったのです。
『もののけ姫』をじっくりみてみると、主要の人物達以外でもそういった格好をしている人物がいます。
そこまで細かく描き分けてるとなると、ますます宮崎駿監督のこだわりが伝わってきます。
ジコ坊とアシタカが出会う場所、市場は神聖な場所だった?
供御人であるジコ坊は、この時代市場から市場へと遍歴していたはずです。遍歴する場所には特異な性格を持つ場所が多く、特に市場は神聖な場所でした。
これは世界的にみても多くの民族に当てはまる習慣ですが、例えば虹がでるとそこでは交易を行って神を喜ばせなくてはなりませんでした。
虹とは神と人との間の掛橋であり、そこにある市場は世俗から切り離されたものです。
世俗からの縁を一旦切り離して、身分や出生を切り離し、1人の人間どおしで商品交換が行われます。
15世紀には、そういった感覚は薄れ始めていたことでしょうが、その名残はまだまだあったと思われます。
そんな場所でアシタカとジコ坊があったのにはやはり意味があり、アシタカにとってもジコ坊にとっても、まさに神がかった運命の邂逅でした。
当時の価値観。神様への供物を扱う=神に準ずる存在
では、なぜ供御人が神聖視されているのでしょうか?
そこには、現代の価値観とは少し違ったものの見方が存在します。
金融の起源、出挙をたどれば、また別の角度から、当時の価値観が見えてきます。
出挙とは金や稲の種を貸し付けたときに、利息をつけて返還させた制度のことです。
日本の当時の稲作は、初穂を神に捧げました。
それは共同体の蔵(誰の家でもないところなので、神殿や祭壇があった場所)に納められました。
納められた初穂は、次の年に神聖な種籾として農民に貸し出されます。
そして農民は蔵から神聖な種籾を借りた神へのお礼として、借りた分と利息の稲をつけて蔵に戻すのです。
こういったものが発展して、金融行為となっても「一旦神仏のものになった、神聖なものを扱う」という意味は残り続け、その俗世とは切り離されたものを扱う人々は、神や仏のものを扱う、直属の民ということで、平民とは区別されたのです。
最後に:ジコ坊はアシタカに負けず劣らずいい男。
ジコ坊は、本当は偉い人だよ、ケチな人じゃないよ、という説明をしようとしていたはずですが、どんどんマニアックな話になってしまいました。
冒頭でもお話しましたが、ジコ坊はまさに、サンと出会わずに大人になったアシタカの姿ともいえます。(ifの姿)
こちらの記事でも詳しく書かせていただいています。
また、室町時代は混沌とした時代で、さまざまな組織が結成されたり、太古の動物が生き残りがいただろう最後の時代とされています。
しかし、その混沌の中にもしっかりと理由があり、それを知ると物語がもう少し面白く観ることができます。
この記事を読んでくれた方が、1.1倍でも、ほんの少しでも『もののけ姫』を楽しく見るお手伝いができれば幸いです。
以上『もののけ姫』の中で個人的に最も好きなジコ坊にまつわる話でした。ここまで読んでいただきありがとうございました。
それでは次の記事で!