※引用:©スタジオジブリ 「もののけ姫」より
こんにちはアリスケです。
『もののけ姫』には体の大きな動物が多く登場します。
しかし、乙事主は「モロ、わしの一族を見ろ!みんな小さくバカになりつつある。」と語りました。
物語をなんとなく観ていると、人間が住処を奪ったことのみが動物の矮小化に関係しているように語られていますが、私は実はそれだけが矮小化の理由ではないと考えています。
今回は「動物達の矮小化の理由」と、矮小化に深く関係する「モロと乙事主の関係」について考察、解説していこうと思います。
動物達の矮小化は島嶼化現象が関係していた?
『もののけ姫』に出てくる動物達は、現代の日本に生息する動物達と比べかなり大きいです。
『もののけ姫』の舞台は室町時代とされており、その時代は太古の生物が生き残れたかもしれない最後の時代と言われています。
15世紀の日本は、人間を含めた生き物の転換期とされており、人界には様々な組織や団が結成された混沌とした時代であり、動物達にとっては太古の名残を残す最後の時代でした。
山が削られ、住処が減り、山への信仰も失われた結果、動物達はどんどん小さくなっていき、乙事主も一族の矮小化を嘆いていました。
しかし、動物達の矮小化は、全てが人間のせいではありません。
もともと日本はシベリアの辺りと朝鮮半島の辺りが繋がっており、ユーラシア大陸の1部でした。
それが火山の噴火や気候変動によって、今の北海道、本州、四国、九州という日本列島の形が出来上がりました。
日本は肥沃な土壌が広がる大陸から、土地がが限られた島になってしまったのです。
食料や住処が限られるようになったのは、人間と争うようになる前からなのです。
住める土地が減れば、食料も減り、大型化できる個体も減っていきます。そうなれば世代交代する事に種の小型化が進んでいきます。
これを島嶼化現象と呼びます。
島嶼化とは、島では生息域や資源量が制限されることからおきる、生物が他の地域で見られるよりも巨大化or矮小化するという説です。
例をあげると、ウランゲル島で発見されたマンモスは、他の地域のマンモスの推定体重が平均6トンなのに対して、島で発見されたマンモスは2トン程しかなかったとされています。
これは、もっと昔の恐竜が生きていた時代から起きていた事です。
大陸の分断や合体が激しかった白亜紀後期のヨーロッパに生息していたピロラプトルは、大陸に生息していた個体と、島に生息していた個体で、4倍もの差があったとされています。
この島嶼化現象は驚くことに、5000年という短い期間で起きてしまうことです。
日本と大陸が分断したとされるのは約1万年前であり、島嶼化現象が起きるには十分すぎる時間があったとされます。
モロと乙事主が破局した理由を考える。
上記にも書きましたが、島嶼化では生物が巨大化する場合もあります。
大陸にいる天敵と分断されたことによって、捕食される側の生き物は大型化出来ます。(例、ガラパゴス諸島のゾウガメやモーリシャス島に生息していたドードー。)
しかし、『もののけ姫』には巨大なイノシシと、それを捕食できる巨大なオオカミがいます。
通常のオオカミであれば野ウサギや、鹿程度で腹がふくれるかもしれませんが、巨大オオカミともなれば狙う獲物も大きくなります。
大型のイノシシが減れば、それを捕食する大型のオオカミも減っていきます。島嶼化(小型化の)が進むのに拍車がかかるだけです。
モロと乙事主が破局した理由はこれではないかと思います。
モロと乙事主には、「昔は好い仲だった」という設定があります。
これは宮崎駿監督がモロの声優である美輪明宏さんへのアフレコ時のアドバイスとして語られたことが有名ですね。
モロを「雄々しく近寄り難い神」をイメージして演じていた美輪明宏さんに、宮崎駿監督が自分の中の「残酷な面ももちながら、深い優しさを持つ神」というイメージをわかってもらうために、
「モロは昔、乙事主とは好い仲だった。」という設定を伝えたとのことです。
これは宮崎駿監督が直々に言っていたことですが、ただ単に声優さんがイメージしやすいようにその場限りで言ったことかもしれません。
しかし、そこにはどうしてもなにか理由があったと思ってしまいます。(考察するのが楽しいだけ)
モロとの関係、ナゴの守のことを九州の猪神達が知っていた事からも、乙事主や九州猪神達は九州と本州をそれなりに往き来していたことは事実なのです。
乙事主は、他の猪達よりも聡明で、人間であるアシタカの言葉に耳を傾ける王の度量があります。
モロ曰く「少しは話のわかりそうな奴」と評されており、他の猪達とは区別されて話されています。
上記でも少し書いた通り、聡明で器の大きな乙事主ですが、死ぬとわかっていても、モロの忠告を聞かず、猪の誇りを優先してしまう部分があります。
「たとえ我が一族が悉く滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」というセリフからは、「死んでもいいから人間に一死報いたい」という気持ちが滲み出ています。
しかし、最終的には人間に破れ、憎しみと死への恐怖からタタリ神になりかけます。
己の死を受け入れ、それでも森に寄り添い続けていたたモロの君と比べると、対照的な関係になっています。
皮肉にも、森の動物達の中で、一番人間臭いのが乙事主というキャラクターです。
やはり、モロと乙事主の破局理由は性格の不一致というか、モロに愛想つかれたのか?
ただ、「日本全土の猪族」を率いる立場や、「食料として人間に狩られかねない」という山犬のモロにはない苦悩が乙事主にはあります。
「たとえ我が一族が悉く滅ぼうとも、人間に思い知らせてやる」というセリフは、「人間に狩られはじめるくらい一族が小さくなるまえに、人間と戦わないといけない」という不安や焦りからくるものなのです。
もちろんモロだって知能の高い山の神です。
そこまでわかっていたでしょう。だからこそ性格の不一致だけで破局したとは考えにくいです。
ここで上記の島嶼化現象が頭を過ります。近くにいると一族が小さくなっていってしまうのは、人間だけではなく、山犬と猪も一緒なのです。
猪族の最後の希望である一番体の大きい乙事主だけでも、小さくなっていく訳にはいきません。体の大きい遺伝子は残していかなければならないのです。
ゆえに、歳をとるほどにお互いの決して相容れない運命をわかったからこそ、距離を置いたのではないかと思います。
人間という共通の敵がいたからこそ、結託できたのであって人間がいなければ、島嶼化した日本では大型オオカミと大型イノシシどちらかが消える運命だったかも知れません。(人間のせいでどちらも衰退していきますが…。)
モロの子ども達はモロのように大きくなれない?動物達の矮小化の末路。
上記では日本が島嶼化していることが理由で、動物達が矮小化していることを書いてきましたが、ここでちょっとした疑問が生まれると思います。
モロの子どもはモロのように大きくなれるのか?
正直モロとその子供の親子1代ぐらいで体の大きさが変化するとは思えません。モロほどとは言わずとも、普通の山犬よりは大きくなると思います。
いずれは体は小さくなっていき、人間の言葉も喋れなくなっていくことでしょう。
そして、そんな元々山の主だった動物達の末路を描いた作品が『となりのトトロ』です。
人間の言葉を話せず、残された森の中でひっそりと暮らす存在がトトロ達です。
『もののけ姫』のラストで登場するコダマが、後のトトロだという設定は有名ですが、それはあくまで後付けの設定だと言われています。
しかし、もともと『となりのトトロ』のトトロ自体「昔人間に滅ぼされた一族の末裔」という裏設定を持っています。
その「昔」の部分を描いたのが『もののけ姫』であると言われています。
実際に『もののけ姫』と『となりのトトロ』が繋がっている部分は「コダマが後にトトロになった」という後付け設定のみですが、宮崎駿監督の『もののけ姫』の構想自体には『となりのトトロ』と深い繋がりがあったのです。
もしかしたら『もののけ姫』に登場した山の主たちの末裔は、トトロのように残された自然の中で人間の言葉も知恵も忘れてもそれでも懸命に生きているかもしれません。