みなさんこんにちは、アリスケです。
2021年夏公開の映画『フリー・ガイ』。監督はショーン・レヴィで脚本はマット・リーバーマンとザック・ペンのコンビとなかなか期待できそうな作品です。
ショーン・レヴィといえば、『ナイトミュージアム』や『ラブ&モンスターズ』を手がけている監督で、コメディものの作品でも、最低限ちゃんとテーマを形にしてくれる監督です。
『ラブ&モンスターズ』のレビューはこちら
“こういうハリウッド映画”はもともで派手なアクション第一で演出ばかりに目がいってしまいますが、『フリー・ガイ』は物語としてもちゃんと面白い作品でした。
もちろん演出や細かいアイテムもこだわられていて終始観ていて飽きない作品でした。
あらすじ。銀行強盗は一日10回あたりまえ。
強盗も殺人も何をしても許されるオンラインゲーム「フリー・シティ」。
主人公の「ガイ」はゲーム内のモブキャラクターに。「サングラス族」というプレイヤーに理不尽に資産を奪われたり車ではねられても文句はいえない。
それどころか変わらない毎日を幸せなものとして疑わず過ごしている。
ひょんなことをきっかけに「サングラス族」からサングラスを奪ったガイは、この世界がゲームであることをサングラスを通して理解し、横暴な運営に対して反逆し、最後にはゲームのモブキャラクターが生き生きと生活する楽園を作ってしまう。
というのがおおまかなあらましです。
ゲームの世界なのでそれはあたりまえの事ですが、客観的に観ればたしかに残酷極まりないです。
しかし、映画を観ると脚本家や監督はそういうゲームを批判したいわけではないとわかります。
なぜなら、その残酷描写がコメディとしてめちゃくちゃ面白く描かれているからです。
「DAYZ」っぽいゲームのロゴに、おおまかなゲーム性はまんま『グランド・セフト・オート』です。
プレイヤーキルやモブキャラクターへの攻撃はあたりまえのゲームで、ゲームの“あるある”をコメディちっくに描いています。
ただ、「そんな無法地帯のオンラインゲームもいいけど、『どうぶつの森』や『シムシティ』みたいなゲームもいいよね。」というメッセージがあるだけです。
『レディープレイヤー1』をナチュラルにディスる。
一目見て「ああ、あのゲームだな」とわかるリスペクトや、「壁に向かって走る」「しゃがんだりだったりして相手を煽る」というゲームあるあるにあふれています。
“サングラス”というのもおそらくVRを連想させるアイテムだと思います。
しかし、プレイヤーは必ずしもVRをしているというわけではありません。
ヘッドセットをつけていたりはしますが、現代でも見かけるような格好の人達が普通にプレイしています。
ではサングラスとはなんのか。これは『レディープレイヤー1』のVRをイメージしているのではないかと思います。
“ゲームの世界に入り込める”という部分や“誰でもヒーローになれる”という謳い文句が、『レディープレイヤー1』と似ている本作ですが、対称的な部分が明確にあります。
それは、プレイヤーの“民度”、プレイヤーの“マナーの無さ”です。
『レディープレイヤー1』のゲーム世界「オアシス」は謎解きやレースなど、古き良きゲームを今風にしたような演出で、プレイヤーも憧れのアニメヒーローやヒーローが使うアイテムを使ってプレイしていました。
例・スターウォーズのキャラクターになってライトセーバーを使うみたいな感じ。
もちろん、プレイヤー同士の戦闘もありますが、そこにはちゃんとルールがあるという演出がありました。
しかし、「フリーシティ」は完全に無法地帯です。一応、暴れすぎると警察(モブ)に追われるという設定があるようですが、そんなルールはあってないようなものです。
プレイヤーも意地汚く、キャラクターの格好もけばけばしいです。“ヒーロー”とよばれてはいますが、やっていることは銀行強盗や街中での迷惑極まりないカーチェイスなんです。
最初は“ああ、同じハリウッドでもワーナーと20世紀でこんなに演出の違いがあるんだなぁ。”程度にぼーっとみていましたが、どうやらそれだけではないようなんですね。
なぜなら、描き方の違いだけだったらわざわざサングラスなんていうアイテムじゃなくてもいいですからね。
「レディープレイヤー1」では、プレイヤーは、美男美女やエリート会社員でしたが、「フリー・ガイ」では違います。
「フリー・シティ」のような暴力表現や反社会的行為表現があるようなゲームは、本来レーティングがあって、プレイしていい年齢区分があります。
しかし、明らかにR指定ゲームをやっていい年齢じゃないクソガk…未来ある若者や、お母さんに怒られながらプレイする子供部屋おじさんがプレイヤーなんです。そりゃ民度も低くなりますよね。
これは、実際あてはまる人達がみても「あるあるだー」って笑えるんでしょうか?冷静に見てみると結構ブラックな演出です。笑
「実際はこうだろ!!」という制作側の強い意志を感じます。
ゲームの映画って結構あるんですけど、ゲーム内のあるあるだけじゃなくて、プレイヤー側のゲームあるあるみたいなものを、こんなにちゃんと描いているのはおもしろいです。
さらに、今回の主人公はプレイヤーではなく、モブのNPCキャラクターです。プレイヤー側を醜悪に描きたいというのもわかります。
もちろんサングラスをつけたり外したりというのは、視覚的にわかりやすいという意図もあったと思います。
“デイス”とまではいかないと思いますが、『レディープレイヤー1』のようなVRとかヘッドセットとかグローブとかがいるゲームは敷居が高いですからね。
ゲームを題材にした映画だと、どうしてもゲームをプレイする側がメインになるので、観客が感情移入しやすいように、プレイヤーは美男美女だったり、敵でもそこそこ身なりが整っています。
『シュガーラッシュ』のような映画は、そもそもプレイヤーが出てきません。
ゲームのモブキャラ主人公VS現実の悪い人間という構図だったからこそできる表現で、面白いと思います。
キャプテンアメリカの盾、ハルクの腕がでた理由。
主人公のガイが、物語の終盤“キャプテンアメリカ”の盾や“ハルクの腕”を使って敵を倒すシーンは印象的でしたね。
理由は簡単で脚本に『アベンジャーズ』や『インクレディブル・ハルク』を手がけたザック・ペン氏が関わっているからです。
しびれる演出でかっこよかった。かっこよかったですが、正直なくても良かったかなと思います。
あんまり偉そうにこうして欲しかったとか言うのも好きではないし、「モブキャラでもヒーローになれる」という演出がしたかったのもわかります。
実際すごくかっこよかったです。しかし、そのテーマは『レディープレイヤー1』がやっているんですね。
より、ゲームの世界という点を注視するならば、もっとゲームの有名な作品のオマージュをして欲しかったです。
『ロックマン』のロックバスターや『フォートナイト』のツルハシはいいと思います。でも『アベンジャーズ』や『スターウォーズ』をだしたらそっちのほうが知名度もあるしインパクトが強いんですから、ゲーム感が薄れてしまいます。
「モブキャラがヒーローになる」というテーマを伝えたいのなら、せめてゲームのヒーローキャラクターが使うアイテムだけを使って欲しかったかなと思います。
アベンジャーズやスターウォーズのゲームもありますが、それは映画があってこそのゲームですからね。
『ゼルダの伝説』のマスターソードとか『マインクラフト』のダイヤ装備とか使ってくれたら、個人的にはもっと面白かったのかなと思います。
最後にちょっとだけ文句を言ってしまいましたが、ロマンスシーン以外は、終始観ていて飽きない作品でした。
やっぱり、ショーン・レヴィ監督は“もし◯◯がこうなったら、こうなるよね”というのをコメディ演出でやるのが上手いと感じました。
現実だったらこうなるだろうな、というリアルさと、映画的なケレン味のあるコメディ表現の塩梅がちょうどいいです。まだ視聴していないという方には、ぜひおすすめできる作品でした。